絹先人考

絹先人考

■3・渋沢 栄一(上)

埼玉県深谷市にある生家(通称・中の家)の庭先に立つ渋沢栄一 =1927年10月撮影
埼玉県深谷市にある生家(通称・中の家)の庭先に立つ渋沢栄一 =1927年10月撮影

「はなはだ失礼ですが、みなさんは蚕というものを全然ご存じない。おっしゃっていることが間違ってばかりいます」

明治政府が発足して間もなく、渋沢栄一は大隈重信や伊藤博文ら政府高官に向かって、きっぱりと指摘した。生糸改良の議論をしていた時のことだった。当時、生糸は外貨獲得の主力品だったが、粗製乱造で信用が落ち、糸価が下落していた。器械製糸導入による品質向上は、国力を付けたい政府の緊急課題。大隈からの要請で出仕した渋沢はこの時、大蔵少丞として議論に加わっていた。