■21・永井紺周郎、いと
掛け軸に描かれた永井紺周郎(左、前橋市の山口亥二郎氏所有)といと(片品村の永井啓之氏所有)
蚕室の中で火をたき、煙を充満させると、病気だった蚕が回復し、やがて真っ白い繭を作り出した-。
幕末から明治の初めにかけて、利根・針山新田(現片品村針山)の永井紺周郎と妻のいとが考案した「いぶし飼い」だ。当時「蚕は火が嫌い」とされ、炊事さえ屋外で行っていた。いぶし飼いはこの昔からの風習を覆した。人々は驚きとともにいぶし飼いを取り入れ、夫妻のことを「蚕の神様」「蚕のお医者さま」と敬った。
「常識を変える飼い方で、農家の人々をこしゃり(蚕病の一種)の不安や不作の苦しみから救った。人々が夫妻のことを神様のように思うのも当然だろう」と、片品村文化財調査員の大久保勝実さん(83)は語る。