■36・加部 安左衛門
開港したばかりの横浜港に進出した12代加部安左衛門=加部の子孫の加部君代さん所蔵
幕末の横浜港の居留地で政商の三井よりも大きな店舗を構え、外国貿易を繰り広げた東吾妻町大戸(旧大戸村)の加部安左衛門(十二代)は、嬬恋村三原出身の中居屋重兵衛(一八二〇-一八六一年)とともに横浜港草創期の歴史を飾る上州商人の巨星として歴史に刻まれている。
東吾妻町の西部に位置する大戸は、信州・草津街道の宿駅と大戸の関所をひかえた交通の要衝地で、信州や越後からの物資が集中し、草津の温泉客、善光寺参詣路として栄えた。
加部家は、戦国時代末期から繭、特産の岩島麻、たばこの取引などで代々巨万の富を蓄えた。一七八三(天明三)年の浅間山大噴火の時は、五百両と米五百石を提供して救済の手を差しのべた。幕府に命じられ足尾銅山経営にかかわり千両を出資するなど、「上州の三分限者」として「一・加部、二・佐羽(桐生・佐羽吉右衛門)、三・鈴木(甘楽・鈴木重兵衛)」とうたわれ、その筆頭にあげられていた、と伝えられる。