絹先人考

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■39・木村 九蔵

競進社を設立し養蚕技術を広めた木村九蔵(埼玉県立児玉白楊高校提供)
競進社を設立し養蚕技術を広めた木村九蔵(埼玉県立児玉白楊高校提供)

武蔵国新宿村(現埼玉県神川町)に養蚕改良競進組を結成し、独自の養蚕技術を広めていた木村九蔵が一八八三(明治十六)年ごろ、高山村(現藤岡市高山)の実家に帰った時のことだ。兄とのよもやま話は、やがて養蚕技術の話に及び、互いに独自の意見をぶつけ合う激論となった。

怒った兄が「そのような考えを持っている競進組の奴(やつ)は家には置けない。すぐ出て行け」と声を荒らげると、木村は「こんな家に居るものか」と門を開け放って闇夜へ飛び出した。

兄は高山村を拠点に「養蚕改良高山組」を組織、やがて全国一の養蚕学校「高山社」へと発展させた高山長五郎(一八三〇-八六年)である。当時はちょうど「清温育」という飼育法を確立したころだった。木村も後に養蚕学校「競進社」の社長として三万人の社員を従えた人物。二人とも自身の養蚕技術に確固たる信念があった。