■34・江原 芳平
江原 芳平
前橋の生糸商が稼ぎ出した富は、どれほど巨額だったのだろう。糸のまちを活気づけ、後に金融界を仕切り、県庁誘致のキーマンとなった商人たち。財を成した源は前橋と横浜を結んだ生糸だった。
江原芳平の父、芳右衛門は一八五九(安政六)年の横浜開港時に嬬恋村出身の商人、中居屋重兵衛(一八二〇-六一年)を介し前橋生糸輸出の先鞭(せんべん)をつけた一人。まだ十代だった江原は父ともに有力生糸商として力をつけていった。
輸出品としてクローズアップされた生糸の生産基地、前橋に藩営の器械製糸所ができたのは一八七〇(明治三)年。いち早く器械製糸導入を試みたが、上州座繰りの本場に器械製糸はなかなか根付かなかった。