■47・後閑 祐次
後閑祐次(後閑縫之介さん提供)
〈全役員会を開いて私を社長に推薦したから引き受けろと伝達してくださったのが桑島さんだったのですが、私は家庭の事情でお引き受け出来ないとお断りしました。粘り強く粘られてほとほと困り抜きましたが、結局桑島さんに降参して就任した訳でした〉
後閑祐次は、組合製糸「群馬社」の創設、再建にかかわった桑島定助(一八六七-一九四八年)を回顧する座談会(一九五六年開催)で発言している。
「群馬社」の重役宿直室で初代社長の大久保佐一が自ら命を絶ったのは一九三四(昭和九)年十月二十二日。繭売買をめぐって一部組合員の告発から天皇陛下のご訪問が取りやめになった事態の責任を取った突然の出来事だった。会社の善後策を練るために前橋を訪れていた後閑は、自死の現場を目の当たりにする。