■38・町田菊次郎
町田菊次郎(町田英子さん所蔵)
〈わずかでも先師・高山長五郎の志に添うものが得られたのは、心中深い喜び。命のある限り勤勉努力して先師の恩にこたえ、国家の恵に報いたい〉。一九一五(大正四)年、天皇・皇后両陛下に献上した著書「最近養蚕法」の序文で、町田菊次郎は養蚕伝習機関「高山社」の創設者である高山長五郎(一八三〇-八六年)への思いをつづりながら蚕業改良への決意を述べている。
「救世済民は自分の天職」と言い続けた菊次郎の原点と長五郎との結び付きを伝える、若い日のエピソードが残っている。
明治の初め、藤岡地域一帯は水利が悪く水田の利用ができなかった。そこで菊次郎は長野県の千曲川上流の水を神流川に引き入れて増水させ、大規模な土木工事を施した上で広大な水田を造成しようと構想。両川の上流地域を数年かけて測量した。