■7・高山 長五郎
長五郎を撮影した唯一の写真。40代前後と推定されている
緑野(みどの)郡高山村(現藤岡市高山)で養蚕改良に励んでいた高山長五郎は、村にいくつかあった蚕の神様をまつる神社やほこらを一つの神社に合祀(ごうし)した。一八七七(明治十)年ごろのことだ。 このため農民たちの多くが豊蚕を祈ることができない事態になった。ところがその年の蚕は大当たりする。長五郎は農民にこう説いた。「豊作は神の力ばかりではない。養蚕をする者の誠意が蚕に届くことが大事だ」と。弟子がまとめた「高山長五郎翁略伝」(一九一八年)に、そんなエピソードが残されている。
「蚕は天の虫」として、神頼みの養蚕が残っていた時代。のちに独自の養蚕飼育法を確立し、「養蚕改良高山社」を創立する長五郎が一貫して失わなかった科学的な視点がそこにある。