■31・宮崎 有敬
宮崎有敬
〈世を治めることを一生の仕事と志し、国利民福を図る〉
一九〇七(明治四十)年、貴族院議員、楫取素彦(かとりもとひこ)(一八二九-一九一二年)は宮崎有敬の功績をたたえる碑文のために筆を執った。
楫取は一八七六(同九)年、第二次群馬県成立とともに初代県令に就任。八四年に元老院議官として転出するまで、草創期にあった本県の教育の振興と養蚕・製糸業など産業の発展に力を尽くした。
第一回県議選に当選、七九年に開設された県議会の初代議長に選ばれた宮崎の〈常に高邁俊逸(こうまいしゅんいつ)にして英気人を驚かす言動〉(「群馬県議会史」)を、楫取は県令としてつぶさに見てきた。
幕末から明治へと日本が近代化に向けて歩み始めた激動の時代。楫取が碑に刻んだ「国利民福」の言葉が、宮崎を突き動かしたといえる。