絹先人考

絹先人考

■40・山口正太郎

二代目山口正太郎(恒蔵)(右)と三代目山口正太郎(與市郎)=ともに山口昌子さん所蔵
二代目山口正太郎(恒蔵)(右)と三代目山口正太郎(與市郎)=ともに山口昌子さん所蔵

盛期には社員約五千二百人、授業員二百七十五人に及んだ養蚕伝習機関「順気社」は、一八八七(明治二十)年九月、藤岡町(現藤岡市藤岡)に開業した。

同町の一行寺で行われた開業式典には緑野、多野両郡長はじめ二百八十余人が出席した。社長となった二代目山口正太郎(恒蔵)はこんな決意を述べた。

〈当社の目的は養蚕方法を錬磨して各地方に伝え、国を繁栄させる元をつくることにある。社の繁栄を続けてゆくことで、祝意に報いていきたい〉(同年九月二十日付群馬日報、意訳)

設立のきっかけは一八八一年、東京・上野公園で開かれた第二回内国勧業博覧会で受けた屈辱だった。