絹の国の物語

絹の国の物語

第1部・新町屑糸紡績所

4・明治初期の姿が現存 2005/10/20

紡績所の創業当初を描いた錦絵「上州新町駅紡績所」
紡績所の創業当初を描いた錦絵「上州新町駅紡績所」

藤岡市藤岡の黒沢康弘さん(52)方で保存されていた新町屑糸(くずいと)紡績所(旧内務省勧業寮新町屑糸紡績所)の錦絵「上州新町駅紡績所」の版木が今年6月、公開された。

錦絵には、紡績所の1877(明治10)年の創業当初が描かれていた。カネボウフーズ新町工場に現存する木造紬(つむぎ)糸工場には、錦絵と同じ形の窓と、窓枠の黄色の塗装がわずかに確認できた。工場が創業時の姿のまま残されてきたことを示すものだった。


◎久々の大発見

「産業史、建築史の研究者にしてみれば、久々の大発見。明治初期の木造工場なんて、日本中探しても見つからない」。国立科学博物館・産業技術史資料情報センターの清水慶一主幹は驚きを隠さない。

清水主幹は今年3月、県からの委託を受けて同紡績所を調査。この時、木造工場の外壁や小屋組みが、120年以上前に建てられた時のまま改築されずに使われていることを確認した。

木造工場には、現在の「洋釘(ようくぎ)」に切り替わる前に明治20年ごろまで使われていた「和釘(わくぎ)」や四角形のナットが使われている所もみられる。また、一部の窓ガラスや屋根瓦は、創業時のものである可能性も高い。

ただ、工場内部は開業から2003年の操業停止まで、機械設備の導入や工場用途の変更のために何度も改修されている。

創業時の「コ」の字形の施設は一部でしか確認できないが、その改修による形状の変遷の跡も、工場が歩んできた歴史の深さを物語る。

だが、今年3月に県とともに紡績所を視察した同町の文化財調査委員が「古い施設だと思っていたが、それほど立派なものだとは分からなかった」と話しているように、建築の知識がなければ、その価値を知ることは難しい。

さらに、清水主幹は「小屋組みの形状など、建物自体の完成度は富岡製糸場よりも高い。塗装などを補修すれば、素晴らしい姿になるはず」と付け加える。

◎金閣と銀閣」

豪華な赤れんが造りの富岡製糸場と比べ、質素だが洗練された紡績所の姿は「金閣・銀閣」に例えられている。

木造工場は、カネボウフーズの親会社・カネボウが産業再生機構の下で経営再建に入ったことで、一時期は倉庫となっていたが、現在は荷物も撤去されて、使われていない。

「これほどの建物が、知られることなく消えていくことだけは避けたい」。専門家や保存運動にかかわる人たちは、建物の価値の啓発活動の必要性を強調する。