絹の国の物語

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第3部・碓氷製糸の挑戦

8・“理想の糸”目指す 巣立ち 2005/12/17

愛知万博の会場で上州座繰り器による糸ひきを実演する中野さん(右)
愛知万博の会場で上州座繰り器による糸ひきを実演する中野さん(右

  2002年の夏。松井田町の碓氷製糸農業協同組合で、器械製糸とは対極にある手作りの「座繰り糸」作りが始まった。東ひがし宣江さん(29)=前橋市古市町=と、中野紘子さん(28)=新町=の二人が、上州座繰り器で糸をひく修業を重ね、ようやく商品として出荷できるようになった。

「自分のひく糸に、碓氷製糸のお墨付きをもらえた。頑張ったかいがあった」。東さんは意気揚々と毎日座繰り器を回し続けた。一日7時間。手首の疲れも気にならなかった。

ところが、座繰り糸の生産量は1人当たり1日200グラム前後。器械製糸なら、その70倍の14キロ前後。座繰り糸の方が高値で売れるとはいえ、差は歴然。不採算部門となってしまった。


◎心の葛藤

2人にとって、生産量を増やすことがプレッシャーになった。「碓氷製糸のため、たくさん糸をひきたい。でも座繰り糸は量よりも質が大事。焦ってひいたら、いい糸はできない」。中野さんの心に葛かっとう藤が生まれた。

東さんにも迷いがあった。「自分の糸はどこで何に使われたのだろう。いい糸だったのか。もっと、糸を使う人とコミュニケーションを持ちたい。このままでいいのだろうか」

次のステップを目指し、中野さんは1年半、東さんは2年で碓氷製糸を巣立った。「自由に勉強をさせてもらった貴重な時間だった。碓氷製糸がなければ、今の私はない」。中野さんは心から感謝を示す。

2人は巣立ちの前、碓氷製糸の職員に技術を伝えた。碓氷製糸は現在、注文に応じて座繰り糸を作れる体制を備えている。高村育也組合長(59)は「この先どういう糸が必要とされるか分からない。特徴ある糸が作れることは非常に重要。2人のおかげだ」と語る。

◎新天地へ

さんは中之条町の薬王園に上州座繰りの工房「蚕糸館」を開設。今年6月に前橋市古市町へ移転した。織物作家と意見を交換しながら、毎日糸をひく。養蚕農家をふらっと訪れ、飼育の様子を見せてもらうこともある。「充実した糸作りができている。収入は多くないけど、何とか生活できる。自分に合った糸作りが軌道に乗りだした」と、目を輝かせる。

中野さんは、新町の自宅に作業場を設けた。今では急げば1日500グラムの糸をひけるが、400グラムに留めている。「心の余裕が大事。焦らず、丁寧に…」。理想の糸を目指して、心を込めて座繰り器を回す。

旧官営富岡製糸場世界遺産伝道師協会の幹事を務め、今年5月には愛知万博の会場で上州座繰り器を回すなど、文化的な活動も積極的にこなしている。

2人の活躍を知り、高村組合長は胸をなで下ろす。「器械と座繰り。ジャンルは違うが、製糸の灯を絶やさぬよう、互いに力を尽くしていきたい」