絹の国の物語

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第3部・碓氷製糸の挑戦

6・山形の“灯” 創業の仕事に誇り 2005/12/15

民間会社として最後の器械製糸の灯を守る「松岡」の本社=山形県酒田市
民間会社として最後の器械製糸の灯を守る「松岡」の本社=山形県酒田市

山形県酒田市郊外の小さな集落。民家が肩を寄せ合う裏通りの一角に、古めかしい工場が建っている。器械製糸業を営む国内最後の民間会社「松岡」だ。組合形式をとる碓氷製糸農業協同組合(松井田町新堀)とともに、全国に2つしかない器械製糸の灯を守っている。


◎刀をくわに

 松岡の歴史は、明治初期に始まる。薩長軍に敗れ、新時代の到来を知った旧庄内藩士たち。「産業を興し、全国の見本になろう」と、刀をくわに持ち替えて300ヘクタールを開墾。一面の桑畑を作り、蚕種製造や養蚕を始めた。その事業の一つとして1887(明治20)年、松岡製糸所(現在の松岡)が誕生した。

1世紀にわたり安定した経営を続ける一方、将来の蚕糸業衰退に備えて、1972年に婦人服製造部門を新設。その後も電子製造部門、機械加工部門などを立ち上げ、多角的な経営体制をとった。

製糸部門の比率は年々小さくなっている。今では全社員300人のうち、同部門は20人。売り上げは5、6%にとどまる。十年以上続く赤字を他部門が補てんするなど苦境が続く。’87年にはついに、社名から「製糸」の文字が消えた。

「製糸部門はもう、会社全体を背負う事業ではない」と、鈴木重雄社長(63)は認める。だが、その存続には依然、強いこだわりを持つ。「製糸は松岡の創業の仕事。製糸があったから、ほかの部門が生まれた。何としても残す」

とはいえ社内には、製糸部門に対する意識の格差がある。「創業の仕事」と尊重するベテラン社員に対し、若手の多くは同部門で働いた経験がなく、特別な意識を持っていないという。万一、会社全体の収支が悪化すれば、製糸業を“重荷”とする意見も生まれかねない状態だ。

現実に全国では、製糸業者が相次いで廃業している。鈴木社長は「日本の一時代を支えた産業が、瞬く間に姿を消している。このままでいいのか。商業ベースだけでなく、文化的な価値も考えてほしい」と訴える。製糸の灯を、民間の力で守らなければならない現状に苦慮している。

◎共存が重要

岡にとって、碓氷製糸は同業他社。しのぎを削ったライバルだ。けれども全国に2業者だけとなった今、互いに敵対意識はない。

「これ以上仲間が減ったら、業界として成り立たない。製糸業の保存、継承を訴えても、声が全国に届かない」。製糸部門担当の遠田寿之常務(62)は、共存の重要性を語る。

「仕事で問題を抱えることも多い。これからは気軽に碓氷製糸へ相談しよう」。そう言って、遠田常務はほほ笑む。“二つの灯”の連携が、大きな炎になることを期待している。