絹の国の物語

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第4部・片倉工業の足跡

8・最先端装置で自動化 操業時代 2006/1/10

昨年11月、旧官営富岡製糸場の工場内部が一般公開された。繰糸工場の内部公開はまれで、たくさんの人が自動繰糸機や、明治時代の錦絵そのままに続く梁(はり)の美しさに見入った。

繰糸工場に残るニッサンHRII型という自動繰糸機は、閉鎖から18年たった今でも最先端の自動繰糸機だ。同所には1967(昭和42)年から翌’68年にかけて設置された。

生糸は輸送・保管に便利なようにねじられる
生糸は輸送・保管に便利なようにねじられる

◎最後の姿

県内で唯一操業している器械製糸場の碓氷製糸農業協同組合(松井田町新堀)では、ニッサンHRII型と改良前の同I型を現在も使用している。県世界遺産推進室の松浦利隆室長(48)は「日本で最初に始まった製糸場の中に、製糸業の最後の姿がそのまま残っている。それも機械がスイッチを入れれば動く状態で置いてあるのは希有なことだ」と意義を語る。

今はシートに覆われているが、自動繰糸機は1987年2月まで、命が宿っていた。選繭された真っ白な繭が煮繭機に運ばれ、接着力を弱めた繭が自動繰糸機に送られる。繭の表面から数本の糸口を探す索緒、その中から一本の正しい糸口を見つけ出す抄緒。繰糸中の生糸へ糸口を接ぎ足す接緒―。

座繰りの時代から女性が綿々と続けてきた糸をひくという手作業が、すべて自動化され、生糸が規則正しく小枠に巻き取られていた。

同工場は操業時、朝五時から夜10時まで2交代制で生糸を生産していた。「富岡工場はいい糸が取れる工場」。社内でも評判が高かったという。

富岡工場の商標
富岡工場の商標

工務課の梅沢幸男さん(75)=富岡市下高瀬=は、7粒をより合わせて21デニールという一般的な生糸をひく場合、「赤目が3個、白目が4個。これがいい糸をとる秘ひけつ訣なんだ」と語る。

繭は糸を取っていくと薄くなって、褐色のさなぎが見えてくる。これを「赤目」。逆に接緒したばかりの繭はまだ厚くて白い。これを「白目」。繭からとれる糸は平均3デニールの太さだが、長さ1200メートルほどの糸は最後にいくほど細くなる。常に白目と赤目を4対3のバランスに保つことが均一な糸をとるために重要だった。

梅沢さんは今も「天然繊維としてあれほど美しいものはない」と話す。生糸に対する特別な愛着は少しも薄れていない。

富岡工場が行っていたのは製糸だけではない。’42(昭和17)年、蚕種製造所が併設され、蚕種の販売や養蚕指導も行った。

◎価格交渉も

社は前橋、伊勢崎、沼田、館林の四カ所に出張所を開設。出張所には繭の購買拠点という役割もあり、富岡工場は前橋市や沼田市、中之条、佐波郡などから繭を集めた。

養蚕指導は飼育技術の普及にとどまらず、繭購入の価格交渉が大きな任務だった。同蚕種製造所に勤務した原田春治さん(77)=富岡市富岡=は「アンテナを張り巡らせて、どこの会社がいくらお金を出したという情報収集が大変だった」と振り返る。

片倉は大企業ゆえに、担当者に買値を即断する権限がなく、競合すると負けることが多かった。だが、不利をはね返したのは担当者が積み上げてきた信頼。「結局は人と人のつながり。物を売り買いするのは、顔でつながっていないとだめなんだ」。原田さんは繭集めの苦労を語った。