絹の国の物語

絹の国の物語

第6部・島村を引き継ぐ

1・原風景 心を揺する「やぐら」 住民つなぐシンボル 2006/8/27

六合村赤岩地区の養蚕農家を視察する蚕種の会会員
六合村赤岩地区の養蚕農家を視察する蚕種の会会員

「残すことを決めた赤岩地区の人たちは立派」「集落全体の景観が素晴らしい」―。ぐんま島村蚕さんたね種の会(田島健一会長)の会員ら約30人が26日、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定された六合村赤岩地区を視察した。会員は周囲の風景に溶け込むような養蚕農家の印象を口々に語った。

かつて日本三大蚕種産地の一つとして栄えた伊勢崎市境島村(旧境町島村)。島村には今も蚕種のシンボルともいえる養蚕農家が立ち並ぶ。だが、ここ数年、急速に姿を消している。

視察は、「島村の歴史を後世に伝えたい」と昨年12月に設立された蚕種の会が赤岩地区の建物を実際に見たり、住民と行政の取り組みを聞くことで、消えゆく養蚕農家の保存・活用の参考にならないかと行われた。


◎郷土史

島村の原風景、田島健一さん方の養蚕農家群。
村の原風景、田島健一さん方の養蚕農家群。
屋根の上には今もやぐらが残る

 蚕種の会の活動が本格的に動きだしたのは7月。島村の歴史や養蚕、文化財などを学ぶ郷土史学習講座がスタートだった。地元の境島村公民館で毎週金曜、予想を上回る約60人が参加して島村について熱心に学んでいる。

もうひとつの活動の柱、島村に残る養蚕農家群の調査も7月下旬から始まった。会員が写真や建物の平面図などで現状を記録。日本を代表する蚕種の村・島村の養蚕農家の保存や活用を探る資料とする考えだ。

姿を消しているのは建物だけではない。屋根の上のやぐらも瓦のふき替えなどに伴って撤去が進んでいる。やぐらは島村出身で、田島会長の先祖の田島弥平が養蚕の技術書「養蚕新論」で唱えたできる限り自然に任せる蚕の飼育方法「清涼育」の思想に基づいた構造で、通気をよくするために設けられた。いわば島村のシンボルだ。

◎緑の海

よく残した。これから守っていくのが大変だ」と、田島会長は赤岩地区の家を見つめた。関口政雄さん(73)は「まだまだ先は見えないが、時間をかけても残していければいい」と島村の養蚕農家を思う。

かつて蚕種が盛んだった島村には緑の海のように広がる桑畑の中に、やぐらのある養蚕農家が立ち並んだ。桑畑が野菜畑に姿を変え、今、建物が一つ一つなくなっていく。島村の原風景が消えていく寂しさが、会員の心を揺さぶる。

連載は伊勢崎支局・田中茂が担当します。

蚕種で栄えた島村は、群馬の養蚕を語る上で欠かすことはできない。島村の歴史を引き継ごうと、動きだしたぐんま島村蚕種の会。旧官営富岡製糸場を核とする産業遺産の世界遺産登録運動が活発化するなか、蚕種の会の活動の意義、会員と島村を見つめる人たちの思いを伝える。