絹の国の物語

絹の国の物語

第3部・碓氷製糸の挑戦

2・希望を乗せて船出 発足 2005/12/7

妙義山をのぞむ碓氷川沿いにある碓氷製糸農業協同組合。東邦製糸の工場を借り受ける形でスタートした
妙義山をのぞむ碓氷川沿いにある碓氷製糸農業協同組合。東邦製糸の工場を借り受ける形でスタートした

1958年6月、アメリカ・ニューヨーク市場で生糸取引が停止した。ナイロンなど化学繊維の開発が進み、生糸の消費が激減したためだった。日本国内の生糸相場は大暴落。各地で製糸会社が廃業に追い込まれ、農家が生産した繭は行き場をなくしていた。


◎切実な思い

 当時、松井田町新堀に生糸製造の東邦製糸(本社・東京)松井田工場があった。300人近くが働く同工場をはじめ小諸(長野)、熊谷(埼玉)に拠点をもち、周辺から大量の繭を集めていた同社もまた、相場大暴落の影響で経営困難に陥り、繭代金の支払いに窮していた。

同社経理部に勤め、後に碓氷製糸農業協同組合の参事となる矢野次郎さん(83)=同町松井田=によると、この打開策として「新たな製糸経営は組合製糸以外にない」と考えた当時の社長、故・小久保儀三郎さんが碓氷郡養蚕連合会に対し、松井田工場の売却を打診、新たな組合設立を提案したという。

「東邦製糸は買い手があれば、安く売りたがっていた。町の中では随一の大企業。失われるとなれば、住民にとって影響が大きかった」。碓氷製糸で初代監事を務めた潮泰彰さん(87)=同町下増田=は振り返る。

「町一番の企業がなくなったら大変」「養蚕からほかの業種には転換できない」―。地場産業を守ってほしいと願う農家たちは組合製糸の設立に向けて養蚕農民大会を開き、切実な思いを結集した。

この状況に危機感を募らせた町議会と町農業委員会が腰を上げ、決議によって組合製糸の設立を決めた。春蚕の上蔟(じょうぞく)を控えた1959年6月、同社松井田工場を借り受ける形で任意組合の「碓氷製糸組合」が発足した。組合長に町議、副組合長には6農協の組合長らが名を連ねた。

◎出資に賛同

長だった故・小板橋又治さんの尽力により、町の財政から運転資金として百万円と、その後に六農協に対する補助金という形で300万円が出され、これが組合への出資金に回された。潮さんが「町全体が一丸となって組合組織をやろうという気持ちがあった」と語るように、町議会議員や商店街の人たちも出資に賛同、町を挙げて後押しした。

そして、同年10月の設立総会で同町と安中市、妙義町を区域とした「碓氷製糸農業協同組合」がついに誕生、12月に正式に登記を完了した。

この地から養蚕文化の“灯”を消すまいと願う農民たちの希望を乗せての船出だった。

妙義山をのぞむ碓氷川沿いにある碓氷製糸農業協同組合。東邦製糸の工場を借り受ける形でスタートした。