絹の国の物語

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第5部・六合・赤岩の景観保存

1・保存計画 「昔」か「今」か論議白熱 住民の結束で選定 2006/4/25

白砂川の対岸から望む六合村赤岩地区。建物や山、畑がほのぼのとした農山村の景観をつくっている
白砂川の対岸から望む六合村赤岩地区。建物や山、畑がほのぼのとした農山村の景観をつくっている

「昔の姿」へ戻すのか、「今の姿」を保存するのか―。

昨年10月。国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)を目指す六合村赤岩地区をめぐり、同村が設置した審議会の意見は大きく二つに割れていた。

「玄関は昔、木の引き戸だった。今はアルミサッシに改築している。どうすればいいんだ」

「木戸に戻すなら補助は出せる。サッシのままの修理では出せない」

「木戸では生活が不便。今の姿を保存すればいいんじゃないか」

「昔の姿を取り戻そうという気構えがなくては、今の姿さえ守っていけないぞ」

審議会の委員は地元住民や同村職員、大学教授ら。文化庁職員もオブザーバーとして加わった。互いに腹を割って意見をぶつけ合い、赤岩地区の将来像を探った。議論は白熱。会議は3ヶ月以上も続いた。


◎心が温まる

赤岩地区は六合村南部、白砂川の左岸に位置する。対岸から見ると、山を背に養蚕家屋や蔵が肩を寄せ合い、周囲に畑が広がっている。

「ほのぼのとした農山村の風景。眺めていると、不思議と心が温まる」。審議会の副委員長を務めた同村文化財調査委員長の黒岩勇さん(77)=同村生須=は語る。

黒岩さんは元教員。昭和30、40年代の計14年間、赤岩地区の小学校に勤めた。「赤岩は人情豊か。畑が多くて裕福で、立派な山車もあったなあ」。審議会で議論すると、当時の記憶がよみがえった。その記憶と変わらずに今も残る景観を掛け替えなく思い、審議会では建物の維持保存を主張した。

同地区の民家52軒のうち、築50年以上は23軒。江戸、明治時代に建てられたものも13軒に上る。大半は切り妻造りの総2階建て。2階の蚕室を広くするため、1階より2階が飛び出した出梁(でば)りが目立つ。「建築年代ごとに家の造りや材料が変化している。群馬が養蚕で栄えたことを示す縮図で、全国的に見ても大変貴重」。重伝建に向けた調査を担当し、審議会委員を務めた東大工学部建築学科の藤井恵介助教授(53)は評価する。

◎村の財産

今年2月。計5回目の審議会。ようやく全会一致で「保存計画」の案がまとまり、建物を修理する際は「昔の姿」に近づけていくことになった。ビルや住宅が建てては壊される都市部とは一線を画し、重伝建の集落として生きていく住民の決意表明となった。

国の文化審議会が今月21日、「赤岩地区の重伝建選定を」と答申した。吉報はすぐに村じゅうを駆け巡った。

「住民の結束があったからこそ、県内初の重伝建になれた。本当に良かった」。地元代表として審議会委員を務めた篠原辰夫さん(66)は満面の笑みを見せるが、気は緩めていない。「やっとスタート位置に立った。本当に大事なのはこれから。景観を守りつつ、住民の生活も守る。それをこの先ずっと続けていくんだ」。落ち着いた言葉の端々に、強い意欲がみなぎっている。

六合村赤岩地区が県内初の重伝建選定の答申を受けた。山あいの静かな農村。立ち並ぶ古い養蚕家屋や蔵。日本全国で姿を消しつつあるものが、一つの町並みとして残り、本県が今も昔も全国有数の養蚕県であることを伝えている。第五部では重伝建に向けた住民の取り組みを追い、人々の思い、地区の将来像などを探る。

◇重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)

史ある建物と町並みを一体として、現代的な生活に活用しながら保存する仕組み。市町村が地区を決めて条例と保存計画を作成し、国が選定する。1975年に制度がスタート。これまでに門前町や武家町、宿場町など全国78地区(六合村赤岩地区など官報告示待ち5地区含む)が選定を受けている。地区内の伝統的建物と敷地は、固定資産税や相続税などの優遇措置を受けられる。建物を修理する際は国や自治体から補助を受けられるが、新築や改築、解体には制限も加わる。

連載は文化生活部・斉藤洋一が担当します。