絹の国の物語

絹の国の物語

第5部・六合・赤岩の景観保存

4・湯本家 蚕室用に“大増築” 2006/4/28

六合村指定重要文化財の湯本家住宅。3階に蚕室を増築した跡が残る
六合村指定重要文化財の湯本家住宅。3階に蚕室を増築した跡が残る

六合村赤岩地区の中央に、同村指定重要文化財の「湯本家住宅」が建っている。建築は1806(文化3)年で、ちょうど“二百歳”。重厚な茶色い荒壁はひび割れが目立つようになり、見る人に長い時の流れを感じさせる。


◎長英隠れ家

当主の湯本滋さん(57)は、13年ほど前に東京からUターン。見慣れていた実家に、歴史の重みと深い味わいを再発見し、「ずっと保存していこう」と心に決めた。

湯本家に伝わる「湯本家系略記」などによると、湯本家の祖は木曽義仲に仕え、義仲没後に六合村へ移住。草津温泉を発見し、源頼朝から湯本の姓と草津の地をもらったという。

江戸時代初期に草津町の本家は断絶。同村に隠居した長左衛門が赤岩湯本家の祖となり、以後明治初期まで代々、医業を営んだ。江戸末期には幕府に追われた蘭学(らんがく)者、高野長英が隠れ住んだという言い伝えもある。

湯本家住宅は土蔵造り3階建て。柱と壁で四方の側面を造り、その上に屋根を載せた珍しい構造だ。同住宅の村重文指定を担当した太田市内ケ島町の建築士、家泉博さん(58)は「壁が分厚いので、火災の延焼を防ぎ、暑さ寒さもしのぎやすい。たびたび大火があった同地区の歴史が建物の中に生きている」と語る。

◎境目が残る

築当初2階建てだったものを、1897(明治30)年、屋根を持ち上げて3階部分を付け足し、蚕室とする大改築が行われた。当時の当主、貞治郎は秘伝の薬を作る「薬業」や教員をしていたが、兼業で養蚕も手掛けたという。現在も2階と3階の間に境目が残り、大胆な増築の様を物語っている。

「赤岩地区は平地が少ない。少しでも多く耕地を確保するために、別棟の蚕室を建てるのではなく、3階建てに増築したのだろう」と、同地区での国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)調査を担当した東大工学部建築学科の藤井恵介助教授(53)は分析。大規模増築に見合うだけの養蚕業の収入があったことに驚きを示す。

地区内では、関駒三郎さん(74)宅も2階建てから増築した3階建て。現存しないが、ほかにも2軒、3階建て民家があったという。平野部の養蚕農家集落にはない、特徴的な姿だ。

赤岩地区はこれまで、湯本家が最大の観光スポットだった。同地区が重伝建になることで、観光客の目は今後、地区全体の町並みへ向く。湯本さんは「集落全体の景観こそ赤岩の一番の価値。湯本家はその一つとして大事にしていきたい」と考えている。