第1部・新町屑糸紡績所
7・保存は目標の第一歩 2005/10/23
「小さなころ、毎日通った場所なのに。こんな建物があったことすら覚えていない」。横田永子さん(64)=新町=は、50年ぶりに足を踏み入れた思い出の場所で、新たな発見に目を見張った。
20日、県主催の新町屑くずいと糸紡績所(旧内務省勧業寮屑糸紡績所)見学会が行われた。カネボウフーズ新町工場内にあるため普段は立ち入りが制限されており、一般公開されるのは今回が初めてだった。
横田さんは、鐘紡社員だった父が新町工場に赴任したため、小学1年生で新町に来た。住んでいたのは風呂のない社宅で、従業員や家族に開放されていた大浴場を使うために工場構内に通った。
思い出の場所が歴史遺産と知り、横田さんは住民組織「よみがえれ!新町紡績所の会」に加入、「近代化遺産の素晴らしさを学んでいきたい」と意気込んでいる。
紡績所見学会は定員を上回る120人が集まり、県外の参加者もいた。これまで存在すら知られていなかった施設への関心が徐々に高まっている。
◎行政は態度保留
こうした関心の高まりは、紡績所の今後に大きな影響を与える。親会社・カネボウが産業再生機構傘下で経営再建中であり、事業の売却先の意向が今後の紡績所の存続にかかっているためだ。
カネボウが120年以上も紡績所を残し続けたように、新たな所有者にもその重要性を理解してもらう必要がある。
一部の住民からは、取り壊されることになる前に、行政による紡績所の買い取りを求める声も聞かれる。
ところが、新町は来年1月に高崎地域での合併を控えている上、「文化財として残すつもりはあるが、次のスポンサーの意志がはっきりしないと動けない」と対応待ちの状態。一方の高崎市教委は「新町から正式な申し出があってから検討する」と態度を保留している。
そんな中、保存に向けて動き出した「紡績所の会」。発足から1ヶ月たち、会の方向性も見えてきた。紡績所の見学ができないなど制限もあるが有識者の講演などの周知活動を通じ、保存の輪を広げていきたい考えだ。
さまざまな事情が絡み合い、状況がどう転ぶかだれにも分からない。片桐庸夫会長は「まず出来ることは、紡績所や近代化遺産への理解と、保存の意志を示すこと」と語る。
◎動き始めた夢
紡績所の会は発足時、保存すら危ぶまれる紡績所に「世界遺産」の目標を掲げた。高く、遠い目標への道のりの中で、「保存はその第一歩に過ぎない」という意志の表れだ。
「可能性があることを信じて動かなければ、県の、あるいは日本の遺産を失うことになる―」。新町屑糸紡績所を取り巻く人びとの夢が動き始めている。