絹の国の物語

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第4部・片倉工業の足跡

11・シルクの歴史に誇り 岩本謙三社長に聞く 2006/1/13

製糸業への思いなどを語る片倉工業の岩本謙三社長
製糸業への思いなどを語る片倉工業の岩本謙三社長

日本の製糸業をリードした片倉工業は1994年12月、最後に残った熊谷工場を閉鎖し、121年に及ぶ製糸業の歴史に幕を閉じた。だが、シンボルである旧官営富岡製糸場だけは、経営環境が厳しくても一貫して保存の姿勢を崩さなかった。同社の岩本謙三社長(64)に製糸業への思いや世界遺産登録運動への期待などを聞いた。


―富岡工場の保存にどう取り組んできたか。

富岡工場は確かに当社の資産ではあったが、歴史的な価値があり、勝手に処分できるものではない。操業停止を決めた柳沢晴夫元社長(故人)も当面はきちんと保存して、時期がくれば今回の世界遺産登録運動のような形で手放すことを考えていたと思う。

富岡工場について、「売らない。貸さない。壊さない」と言われるような三原則が公称されていたわけではないが、そういう気持ちで保存してきたことは確かだ。一企業として管理していると、事故や火災の心配があり、当社の歴代トップはみなそういった心配をしてきた。

―活用を検討しなかったか。

考えなくもなかったが、富岡工場を使って大勢を集めるのは、耐震や消防法などの問題があり、現状のままでは難しい。今回のように世界遺産にするとか、大きな枠の中で活用を考えるのが一番よかったと思う。

―世界遺産運動にどうかかわっていくか。

長年管理してきた当社としては、お手伝いできることがあれば協力するという気持ちは変わらない。工場内に残る書類などは現在、当社で調査している。いずれ資料を展示することもあるだろうし、研究に役立ててもらえればと思う。

世界遺産登録運動では、建物が立派だということだけでなく、官営製糸場の創業精神や日本の近代化に果たした役割、社会貢献の歴史などをきちんと伝えてほしい。

―製糸業からの転換はどう進展したか。

製糸業からの撤退は五十年以上前から行われている。製糸業の存在感が大きかったために、新事業に失敗したり、反動もあった。歴代社長は製糸業休止後にどう事業展開するかいつも頭を悩ませてきた。

今ある一つの方向は不動産を活用したビジネスで、一昨年にはさいたま新都心にショッピングモール「コクーン」をオープンさせた。今は新都心の総合開発に力を入れている。

当社は歴史が古く、連結企業は医薬品、農業用機械、消防車製造などバラエティーに富んでいる。関係企業は15社、そのうち連結決算を組んでいるのは当社を含めて七社で、約500億円の売り上げがある。

それぞれ業種が違うため相乗効果を上げにくく、かじ取りは難しい。しかし、当社の歴史はシルクから来ており、繊維業は今後も大切にしていきたい。

―製糸業の伝統はどんな部分に残っているか。

生糸生産では、少しでも品質を高めるよう徹底して品質管理を行った。その経営姿勢は首尾一貫して今日まで残っていると思う。

製糸業時代から、片倉は社員を大切にしてきた。従業員が社会人として自立できるよう教育に力を注いだほか、どこの工場も家族的な結び付きが強い。今は時代が違うかもしれないが、このような会社はもう出てこないのではないだろうか。

(おわり)
「第四部 片倉工業の足跡」は報道部・小田川浩道が担当しました。