絹人往来

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■2・先覚者

「養蚕新論」田島弥平の子孫田島健一さん(75)
「養蚕新論」田島弥平の子孫田島健一さん(75)

本県の養蚕を語る上で、欠かせない場所がある。伊勢崎市境島村(旧境町島村)。この地域が、奥羽の伊達や信州の上田と並ぶ日本三大蚕種産地として名をはせた時代があった。

田島健一さん(75)は養蚕の技術書として普及した「養蚕新論」を残した二代目、田島弥平(一八二二―九八年)の子孫で、六代目の当主にあたる。

田島家の母屋は間口二十六メートル、奥行き十五メートルの総二階建て。弥平が提唱した出来る限り自然に任せる蚕の飼育方法「清涼育」の思想に基づき、通風に配慮した構造になっている。

(2005年6月5日掲載)