絹人往来

絹人往来

■28・プロデュース

西尾呉服店社長 西尾 仁志さん
西尾呉服店社長 西尾 仁志さん

呉服店の仕事は、問屋から着物を仕入れ、消費者に売ること。けれども前橋市日吉町で西尾呉服店を経営する西尾仁志さん(57)は、その枠を超えて活動する。養蚕農家と直接契約し、良質な繭を入手。最良の糸に仕上げ、全国の織物作家に届けている。いわば生糸作りのプロデューサーだ。

「輸入生糸は年々品質を上げている。残念ながら、国産生糸のすべてが品質で勝っているとは言えない。だとすれば、良い繭を選び、より良い生糸を作らなくては、日本の絹産業は生き残れない」。西尾さんは国内絹産業の危機を強く感じている。それが立場を超えたプロデュース活動の原動力になっている。

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二〇〇三年春、初めて生糸のプロデュースに取り組んだ。繭の検定で毎年、高品質の認定を受けている前橋市河原浜町の養蚕農家、松井喬さん(58)と交渉し、春蚕の繭六十キロの提供を受けた。

繭は松井田町新堀の碓氷製糸農業協同組合へと出荷し、「生繰(なまぐり)」という高い品質を生み出す製糸法で生糸に仕上げた。

この生糸を交流ある全国の織物作家たちに送ると、「ツヤや染色性がすごくいい。糸商が持っていない糸だ」と絶賛された。西尾さんは自信を深めた。

糸のプロデュースで、利益は求めない。養蚕農家や碓氷製糸には、割り増しの代金を支払う。織物作家から、精練やよりをかける要望があると、自ら業者に頼み、その実費だけ請求する。手間のかかる作業で、さまざまな雑費もかかるが、店の運転資金でまかなっている。

「呉服店がやる機能から逸脱しているかな」。西尾さんは自嘲(じちょう)ぎみに笑う。「でもそれでいい。群馬に生まれ、絹の商売をさせてもらっている。だから養蚕農家や製糸業者の力になりたい。より良い糸をプロデュースすることが、今の私の使命だと思っている」

昨年は扱う繭の量を、倍の百二十キロに増やした。糸を送る作家も、当初の十人から十八人に増えた。西尾さんのプロデュースは着実に根付いている。

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果敢な挑戦で、手痛い失敗も経験した。プロデュースを始めたのと同じ二〇〇三年の春、中之条町五反田の養蚕農家、割田勘三郎さん(76)に、品種改良していない日本古来の蚕「又昔(またむかし)」の飼育を依頼した。

光沢に優れた品種だが、収繭量が極端に少ない上、回転蔟(まぶし)では繭を作らないという難しさがあった。結果、蚕は柱を上って天井へ行ったり、繭の中で死んでしまったりと散々。予定の三分の二しか作れず、糸一キロが二十七万円という高い買い物となった。「大きな損失」。西尾さんは失敗を認めるものの、少しも後悔はしていない。

糸のプロデュースと又昔の飼育。二つの活動で養蚕に接し、養蚕農家が手塩にかけて蚕を育てているのを見て、感じたことがある。

「日本人はずっと昔から、蚕を大切に育ててきた。心には絹を大切にするDNAが受け継がれている。『絹への尊い気持ち』。それが呉服業界を支えてくれている」

(斉藤洋一)

◎光沢あり染色性良い「生繰り」

碓氷製糸は注文に応じて、繭を乾燥させずに製糸する「生繰り」を行っている。

繭は通常、熱風を五、六時間当て、中のさなぎを殺してから倉庫に保管。一年を通して、少しずつ糸に加工される。

「生繰り」は年間で最も質の良い春蚕が繭になる六月上旬に限って行われ、通常よりも糸に光沢があり、染色性も良くなるという。一方、繭から糸へほぐれづらいため、職員は倍の人数が必要となり、通常一キロ六千円前後の糸は、一万円前後になる。

皇后さまが皇居の紅葉山御養蚕所で育てる「小石丸」も、この方法で製糸されている。

繭を塩に漬けて、土で密封。さなぎを窒息死させてから製糸する「塩漬け」という製糸法もある。

(2006年1月15日掲載)