■29・先染め
小池染色社長 小池喜一さん
薄いアイボリーの絹糸を入れた染色機から真っ白な水蒸気が噴き出す。薄暗い工場内には独特の酸のにおいが立ち込める。桐生市錦町の小池染色は、一月五日の仕事始めを、今年も例年と変わることなく迎えた。織物のまちの機屋が減っても、付き合いの深い地元の機屋に加え全国の産地から受注、仕事は十分ある。
「信頼される染め屋が機屋以上に少なくなったからでしょうか」。堅調な一年のスタートを切りながら、社長の小池喜一さん(75)は素直に喜べない。「うちに仕事があっても、日本中の染め屋の厳しい状況が透けて見える」からだ。
染め屋は機屋の盛衰を目の当たりにしてきた。「桐生の最初の異変は着尺の機屋から始まった。昭和四十年代でした。帯機屋もだんだん低調になった」と振り返る。
競争相手が少なくなると、品質の維持さえ心もとなくなる。「お得意さんが求めるものをいつも心がけてきた。その信用があるから、仕事が入ってくるのでしょう」と自信を持つ半面、染色業界の将来を思う時、「背筋が凍える思いに襲われることもある」という。
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小池さんは一九四九(昭和二十四)年から父親の仕事に携わり、本町通り近くの路地にある小さな絹専門の工場で、糸染めをずっと続けてきた。
先染めの「桐生織」は無地の布に柄を描く友禅などとは対極にある。さまざまな色の絹糸を織り込んで、立体的で力強い柄の着尺や帯を生む。機屋や注文主が思い描く完成品が作れるかどうかの第一歩は、絹糸に「求められた色」を染められるかにかかる。
「色は無限にある。お得意が求めているのは、その中のたった一つ。やや近い色を出せても、たった一つの色にたどり着けないこともある。染色は真剣勝負です」
失敗を重ね、齢(よわい)を重ねて、染めを「怖い」と感じるようになった。
「人の目は日によって変わる。自然光と蛍光灯の違いで、色の感触も変化する。コンピューターで色を測っても同じものが出せるわけではない。お得意さんが何を求めているか、勝負はそこから始まっている」
染めるたびに、使った染料の種類、量などのデータをとる。長い付き合いの機屋とはアルファベットと数字が並んだ暗号のような注文票一枚で、求められる色が把握できる。小池さんの財産だ。
「お得意さんは運命共同体。どちらが欠けても絹産業は成り立たない。仕事を回してくれる機屋さんがある限り、希望の色を生み出したい」
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小池さんの仕事のほとんどは絹が相手だった。光沢が美しく、肌触りが良く、保温性が高いのが特徴だ。加えて、小池さんは「鮮明な色が出る」と感じてきた。「釣りがフナで始まり、フナで終わるように、染めも絹」と信じている。
高校を卒業してから六十年近く、繊維に携わってきた。「好きだからやってこられた」としみじみ思う。「一回仕事を回してもらうと、お得意が廃業でもしない限り、ずっと取引してくれる。良くできて当たり前、百点満点で当たり前の世界を生きてきて、離れていくお得意が少ないことを誇りにしています」
絹への無垢(むく)な思いは、今の時代に絹を扱う人への共感と信頼を生み出している。
◎繊維に抗菌、防水機能を付加
染色は対象が「糸」か「布」かで、大きく「先染め」と「後染め」に分かれる。無地の布に描く友禅などは後染めの代表で、描く段階でさまざまな柄を作り出せる。これに対して、桐生織は先染めの代表で、完成品のイメージに向かって糸を染めたり、織ったりなどの作業が行われていく。
繊維の女王と呼ばれる絹は弱酸性の染料で染める。再生繊維のレーヨンや石油を原料とするポリエステル、ナイロンなどの合成繊維も、それぞれに適した染料が開発されている。すべての繊維を染められる染料は、今のところない。
染色技術の進歩は著しく、「染色加工」と呼ばれる分野が生まれ、単に繊維に着色するだけでなく、燃えにくくしたり、抗菌、防水などの機能を繊維に付加できるようになっている。
(2006年1月22日掲載)