絹人往来

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半纏 10代に織った生地今も 黒岩さくさん(95) 六合村生須 掲載日:2006/05/16


嫁入り修業の糸ひきで使った上州座繰り器を懐かしむ黒岩さん
嫁入り修業の糸ひきで使った上州座繰り器を懐かしむ黒岩さん

 六合村役場の東に、生須(なます)という20軒ほどの集落がある。「昔はどこんちも、養蚕をやっていた」というこの地で、黒岩さくさん(95)は生まれ、嫁ぎ、養蚕をしながら七人の子供を育てた。花嫁修業として、育てた繭から糸をひき、機を織ったこともある。そうした絹の思い出は今も鮮明だ。  「17歳だったかね。近所のおばさんに、嫁入り前に機をおべえといた方がいいって言われてね。初めっからしめえまでおせえてもらって、自分で着物作ったんだよ」
 上州座繰り器を回すのは、この時が初めて。「鍋で繭をガラガラ煮てね。そこから見えないような、ほっそい糸を巻き取るんだよ。太さはおなしにしなきゃならねえし、切れりゃあ、取ってつなぐんだよ。油断しねえで見ながら回すんだ」。久しぶりに再会した座繰り器を、懐かしそうに回してみせる。
 花嫁修業は朝から晩まで、何日間にも及んだ。
 「一反織るのがあんなによいじゃあないとはねえ。幾日かかったか、勘定しとけば良かったよ。本当よくしたもんだって、今も思い返すよ」
 作った二着の一つは父に贈り、一つは自分の着物として嫁ぎ先へ持っていった。
 「私のは黒地に小さな模様を染めてもらってね。一番いい着物だったから、もったいなくてやたら着られねえで、よその葬式のときに着たいね」
 絹の生地は貴重。当時の着物の中には、帯で隠れる胴部や袖の内側などに、ほかの生地を縫い合わせていたものもある。上半身だけ着物で、下は「もんぺ」という服装もあった。
 「みんな着物を大事にして、死んだ後まで残してたいね」
 十数年前、花嫁修業で作った着物を、半纏(はんてん)に作り替えた。
 「着物じゃもう、着やしないから、もったいない。また普段に着出すべえと思ってね。織ってから60年もたってたけど、絹だからよたになってなかったよ」。絹の生地の内側に綿を入れ、えりを付け、きれいな半纏に仕上がった。
 今年の正月、その半纏に袖を通した。「若いころを思い返してね。自分でもよくしたもんだって本当思うよ」。目を輝かせて語った。

(文化生活部 斉藤洋一)