絹人往来

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からりこ節 歌、踊り合わせ機織り 阿久津ミチ子さん(76) 伊勢崎市波志江町 掲載日:2006/07/25


「からりこ節」に合わせて機を織る阿久津さん
「からりこ節」に合わせて機を織る阿久津さん

 わたしゃ伊勢崎/機場のそだち/チャッカリンチャッカリン

 自分で歌う「からりこ節」に合わせて高機を器用に操る。「からりこ節」は昭和初期、伊勢崎銘仙を宣伝するために伊勢崎織物同業組合が作った。北原白秋が作詞、伊勢崎出身で「民謡開拓の父」といわれた町田佳聲が作曲。伊勢崎の織物業の繁栄を示す証しの一つ。
 緯糸(よこいと)を通すために経糸(たていと)の間をくぐる梭(ひ)の音は小気味よく、「からりこ節」と同じように響く。
 「織って覚えろ」。機織りは、糸に柄をつける絣(かすり)縛りの仕事をしていた埼玉県本庄市の実家で覚えた。機で織る反物の最後になる5センチほどの「織りじまい」だけを母親の手ほどきを受けながら織らせてもらった。
 伊勢崎市の嫁ぎ先では、機屋さんから織り賃をもらって機織りをする賃機で現金を稼いだ。義理の妹と朝早くから夜遅くまで来る日も来る日も機を織った。「当時は1反織ると400円。その中から義母が小遣いとして100円くれた。うれしかった」と振り返る。
 長男が生まれると、つったハンモックに寝かせて揺らしながら織り続けた。「機が織れなければ、伊勢崎の嫁は務まらないと、実家で言われてことを思い出したもんですよ」と笑う。
 機織りは15年ぐらい前まで続けた。その間の収入はすべてノートに書き記した。だが、そのノートも家を建て替えた際に紛失してしまった。「これまでの思い出がすべてなくなってしまったようで、残念で仕方ない」。機はいつの間にか物置の隅に片付けられてしまった。
 その機に「再会」したのは昨年暮れ。趣味の民謡踊りで「からりこ節保存会」をつくり、歌と踊りに合わせて機織りをすることになった。
 「また、機が織れるとは思ってもいなかった」。ほこりを払って仲間と紙やすりで磨いてニスを塗った機をいとおしいそうになでる。保存会の代表を務める加藤義雄さん(71)=同市波志江町=が修理して織れるようにしてくれた。
 機織りは保存会の会員6人に教えた。「反物の柄がきれいに織れたり、糸がだんだん布になっていくのを見るのはうれしかった。それは50年以上たった今も変わらない」。そう語る笑顔は若々しかった。

(伊勢崎支局 田中茂)