絹人往来

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繭クラフト けばも活用、花や人形 真庭 サクさん(77) 沼田市柳町 掲載日:2007/07/20


「まゆクラフトコンテスト」で準グランプリに輝いた作品を手にする真庭さん
「まゆクラフトコンテスト」で準グランプリに輝いた作品を手にする真庭さん

 10年ほど前、汚れたりした品質の劣る中繭が値崩れして安くなった。「せっかくの繭を捨てるのはもったいない」と、値が付かなかった中繭やけばを使って、糸を紡ぎ、編み物や織物を始めた。
 実家は代々続く養蚕農家。蚕を粗末に扱うと父親から「1匹いくらすると思っているのか」と怒られた。絹は貴重なものと教え込まれたことが、「もったいない」との意識につながっている。
 糸紡ぎ作業は中学生の時にやっていたので、思い出した。草木染はJA利根沼田の養蚕婦人部の集まりで教わった。レパートリーを増やすため、染料に使える植物を近所の人に聞いて回った。ムラなく染まるよう、繭をたたいて板状にしたものを染めるなど、独自の手法も考えた。
 1997年、全国養蚕農業協同組合主催の「まゆクラフトコンテスト」にマツボックリで染めた黄色のベストを出品、全国で2位となる準グランプリに輝いた。
 コンテストに入賞したことがきっかけで、シルクフラワー作りに携わることになった。フラワー作りを学び、利根沼田地区に広める役割を担った。
 「初めのうちは難しそうで、できないと思っていたが、仕上がりの美しい姿にのめり込んでいった。集中して何も考えずに作れるところが楽しかった」
 JAや小学校からの依頼でシルクフラワー作りの講習会を開いた。自宅に訪ねてくる人もいて関心が高まった。
 「得意のフクジュソウは近所でも実物のようだと評判になった。近所の人に贈ると、何年も大切に飾ってくれている。うれしくなって、また新しいものをプレゼントした」
 最近は孫と一緒に、シルクフラワーや繭人形を作っている。毎年作っている干支(えと)の繭人形は孫がインターネットで調べてくれた図案をモデルに制作している。
 「自分の好きなことができて幸せ。繭のおかげで多くの人に出会え、いろいろな場所へ行けた。干支人形が全て完成するまで続けたい」

(沼田支局 田島孝朗)