絹人往来

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緑の糸 天蚕に挑んだ10年 狩野 信雄さん(76) 前橋市総社町 掲載日:2007/08/31


天蚕の糸からできた薄緑の希少な帯を手にする狩野さん。手前は材料となる生糸
天蚕の糸からできた薄緑の希少な帯を手にする狩野さん。手前は材料となる生糸

 淡い緑色をした帯やスカーフ、そして生糸。屋外で飼育する天蚕の繭からつくった糸でできている。畜産関係の会社を定年退職後、1993年から10年間にわたり天蚕に取り組んだ。数は少ないが、織物は努力の結晶とも言える。
 「天蚕を始めたのは自分で挑戦してみて、うまく行けば、ほかの農家に普及しようと思ったのがきっかけだった。農家は高齢化し、後継者もいない。経営は大変だ。天蚕なら、手間や設備投資がそれほどかからない。もともと養蚕農家の出だし、20代のころは養蚕関係の仕事をしていて、経験もあった」
 赤城山西ろくの旧赤城村に、餌となるクヌギ200本を植え飼育を始めた。
 「蚕種を目の細かい袋の中に入れ、クヌギの枝に掛けておくと、ふ化した蚕が網の間から出てくる。食べたいところに動いて自由に食べる。仕事は葉の多いところに蚕を移して、えさと蚕のバランスをとること。桑をあげる必要はないので家蚕(かさん)に比べて手間はかからない」
 しかし飼育時間はかかる。温度をはじめ自然環境に委ねられるからだ。
 「種から繭になるまで天蚕の場合、家蚕の倍の50日から55日かかる。屋外では寒いときもあれば、雨の日もある。温度や湿度は自然任せだった」
 さらに収繭してからが一苦労だった。自然で育った丈夫な繭を糸にするのはかなりの労力が必要という。
 「天蚕の繭の糸は太いし、ほぐれが悪い。自分ではできないから、赤城村で座繰りをやっている人に頼んだ。収繭量は、年間で3000個ぐらい。量はとれない。農家の人に推奨しようと始めたが、計画性や経済性が伴わなかった」
 当初の夢は実現しなかった。しかし手元には帯やスカーフ、生糸がある。何かの役に立てないか―。新たな思いが募る。
 「富岡製糸場の世界遺産登録を目指す活動に協力したい。展示したり、みなさんに参考品として見てもらえればうれしい。もともと生物や自然が好きで、自分の趣味として始めたこと。好きなことができたという意味で後悔はない」

(前橋支局 須藤拓生)