絹人往来

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民踊 踊り継いで銘仙PR 高橋 富美子さん(75) 伊勢崎市上植木本町 掲載日:2008/03/07


「からりこ節が受け継がれるよう、普及に努めたい」と話す高橋さん
「からりこ節が受け継がれるよう、普及に努めたい」と話す高橋さん

 わたしゃ伊勢崎 機場のそだち チャッカリンチャッカリン
 伊勢崎の民謡「からりこ節」に合わせ、流れるように踊り上げる。1つ1つの動作が連続性を持ち、普通の民踊とは異なる踊り方だ。
 からりこ節は伊勢崎銘仙を宣伝するために、伊勢崎織物組合が作った歌。北原白秋が作詞、伊勢崎市出身の町田佳聲が作曲し、1928(昭和3)年にできた。
 からりこ節の踊りは、伊勢崎銘仙の買い付けに来た業者の人に芸者さんが披露していたという。日本舞踊の花柳徳次が振り付けをしたので、しなっとした踊りになっていて、「民踊は習字で言う『楷書(かいしょ)』のように、それぞれの動きをきっちりと止めるのが普通だが、からりこはその逆。だから柔らかい雰囲気が出る」と語る。
 母の勧めで日舞を習い始めたのが小学生の時。その後、民踊も踊るようになった。からりこ節は30歳を過ぎたころ、芸者を引退した女性に教わった。地元に残る踊りを覚えたいと頼み込んだ。
 97年にはからりこ節が全日本民踊指導者連盟の課題曲に認定された。地域で35年以上、踊り継がれていることが必要とされており、主宰する「登美寿会」や仲間たちとともに踊ってきたことが実を結んだ。認定後、全国の指導者の前で弟子と一緒にからりこ節を教える大役も担った。
 「せっかく伊勢崎の曲を踊るのだからと、絣(かすり)の着物を新調した。1200人の指導者が3つの会場に分かれたので、終わったら次へと忙しく飛んでいった。踊りとともに着物も注目されて、『伊勢崎にはこんないい着物があるの』なんて声を掛けられた」
 年2回ある研修会では顔なじみも増え、友人は全国に広がった。「発表会でからりこ節を踊ったわよ」と自宅に電話をもらうこともある。
 「長年踊ってきたからこそ得られる経験で、ありがたい。せっかく全国に知られるようになったのだから、責任は重いが、その灯を絶やすことなく、伝承していきたい。同じく課題曲になっている『伊勢崎ばやし』と一緒に、市民に定着する踊りになればうれしい」

(伊勢崎支局 高瀬直)