絹人往来

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精錬加工 本来の風合い引き出す 深沢 幸雄さん(76) 高崎市宮元町 掲載日:2007/07/13


「精錬は織ったものを製品にするのに不可欠な作業」と語る深沢さん
「精錬は織ったものを製品にするのに不可欠な作業」と語る深沢さん

 薬液の入った精錬槽から、高い天井に湯気が立ち上る。精錬機のローラーを通った反物は、紙のようなごわつきがなくなり、白くつややかな布地に生まれ変わっていく。
 「精錬は織った絹を製品にするのに欠かせない過程。生糸の表面に付いているにかわ質を落とし、絹本来の柔らかさ、風合いを引き出す」
 裏絹専門の精錬加工会社「高陽精錬」の社長を務める。同社は1970年、高崎市内の卸会社「中伊」の系列会社として同市内に設立された。
 「1951年に中伊に入社した。戦前、おやじが前身会社の経理を担当していたから、その仕事を引き継ぐ格好になった。新入りの時は掃き掃除から始まって、先輩について歩き、仕入れや販売の勉強をした。精錬工場ができてからは、工場にも入り、自分で仕入れた製品の出来を確かめたよ」
 先代社長が引退した75年、2つの会社の社長に就任。業界が陰ってきていた時期だったが、独自ブランドの制作に取り組み、変色やかびの生えない裏絹「黒松」を商標登録した。
 2001年には県繊維工業試験場の委託で、敬宮愛子さまの産着用絹の精錬を手掛けた。愛子さま誕生の半年ほど前に預かった反物は、皇后さまが育てられた蚕からとれた絹糸で織ったものだった。
 「打診を受け、工場長や担当者に相談したら、『やろう』と盛り上がった。熟練者がいたため、技術的な心配はなかったが、皇室でお生まれになるお子さまが着るのだと想像すると、身の引き締まる思いがして確実に良い物を仕上げなければと思った。テレビに愛子さまが映ったとき、『うちでつくったものを着てくれたのだろうか』とうれしくなった」
 着物の需要の減少に伴い、裏絹を扱う量は最盛期の10分の1ほどにまで減った。絹の良さを知ってもらうため、裏絹だけでなく、シルクのニットや靴下なども卸し、地道にPRを続ける。
 「今の仕事をしっかり守ることが先に踏み出すことにつながる。精錬技術の継承も考えていきたい」

(高崎支社 天笠美由紀)