絹人往来

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御養蚕所 皇后さまの人柄に感銘 新井 保裕さん(60) 安中市鷺宮 掲載日:2007/07/28


 かつて養蚕を行った納屋で語る新井さん
かつて養蚕を行った納屋で語る
新井さん

 皇居の紅葉山御養蚕所で皇后さまが育てている蚕の、上蔟ぞく作業の奉仕を毎年続けている。
 「今年は7月上旬に2日間奉仕した。皇后さまは公務の合間をぬって御養蚕所へよく訪れているようで、公式行事の日以外にも我々の作業を見守られた。大変関心を持って取り組んでいらっしゃると知り、感銘を受けた」
 蚕糸高校(現安中実業高校)を卒業後、10年ほど前まで養蚕を続けた。一時は年間3・3トン、県内でも7番目の収繭量を誇った。
 「1965年に初めて、御養蚕所に助手として70日間務めた。モミジの木が茂り、都心にあるとは思えないほど落ち着いた雰囲気だった」
 奈良・正倉院の絹織物復元に役立てようと、御養蚕所が日本古来の蚕品種「小石丸」の本格的な飼育を、94年から始めた。
 「当時の主任だった故神戸礼二郎さん(安中市出身)の『作業の流れのわかる人に手伝ってほしい』という誘いで、忙しい上族時期の作業に携わるようになった」
 主任以外の助手は実際の養蚕経験がない若手も多く、作業を指導するのも新井さんの役目。手慣れた仕事ぶりに皇后さまも感心され、お帰りの際は必ず労をねぎらわれるという。
 「皇后さまのお気遣いは人一倍。拾った蚕をご自分でまぶしに入れたり、本当に作業を楽しまれている。条払いの時は『あまり強くたたくとお蚕がかわいそう』と、そっと振るい落としていた。お人柄を感じた」
 御養蚕所で奉仕したことのある全国の関係者でつくる「紅葉山会」の常任幹事13人の1人。転作後も養蚕への思いは強い。
 「養蚕は人手に頼る部分が多いため、コストダウンが難しい。ほかの農作物と違い、作業が終わりに近づくほど大変になる。しかし手を掛ければ掛けただけの結果が出る」
 「御養蚕所への奉仕は生きがい。素晴らしい伝統に携われるのは本当にありがたい。もし早々に養蚕に見切りをつけていたら、こうした経験もなかったかもしれない。健康なうちは続けたい」

(安中支局 正田哲雄)