絹人往来

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伝道師 高山社の功績広めたい 小坂 裕一郎さん(52) 藤岡市藤岡 掲載日:2007/12/04


高山社に関する資料を前に思いを語る小坂さん
高山社に関する資料を前に思いを語る小坂さん

 地域の活性化を進めている市民グループ「県民自治ネットワーク藤岡地域グループ」の副座長を務めている。
 明治時代に同市に設立された日本初の養蚕学校「高山社」の功績を広め、世界遺産登録実現に向けて活動を活発化させるため、市民有志らで来春に「高山社を考える会(仮称)」を発足させる予定だ。
 「多くの市民を巻き込んで、数多くの養蚕指導者を生み出した高山社のことを知ってもらいたい。活動を通じて街の発展にもつながれば」
 高山社では、創立者の高山長五郎が確立した養蚕飼育法「清温育」を指導。最盛期には分教場が62カ所、1200人以上の生徒がいたという。
 「国内だけでなく、中国などにも優れた養蚕技術が普及していった。技術指導していた高山社は明治、大正期の日本の輸出産業を支えていたといえる」
 自身は直接養蚕に携わったことはないが、高山長五郎の生家「高山社発祥の地」が絹産業遺産群の1つとして、世界遺産への登録運動が盛り上がりを見せたころから独学で高山社のことを学び始めた。
 高山社に関する資料を読みあさり、研究者らから話を聞くなどした。昨年から、同グループが中心となり、市民を招いて勉強会を開始。その際、先祖が高山社の前身である養蚕改良高山組に関係していたことが分かった。
 「養蚕に関係したことがほとんどなかったが、先祖が高山社とつながりがあったことが分かり、親近感を持って活動できるようになった」
 多くの市民に高山社への理解を深めてもらうため、「考える会」発足に向け準備を進めている。12月に幹事会を開き、活動方針などを策定する予定。発足後は、講演会や啓発活動など積極的に取り組んでいく考えだ。
 「養蚕を支えた高山社は残っておらず、寂しい気持ちもあるが、ハード(建造物)がなくてもソフト(技術)を売っていたことが重要。多くの市民が高山社の理解を深めていき、1人1人が伝道師になってもらいたい」

(藤岡支局 林哲也)