絹人往来

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庚申さま 桑の出来、祈り信仰 大島 善次さん(71) 渋川市石原 掲載日:2008/07/04


猿田彦大神と天宇受売命の夫婦像の前に立つ大島さん
猿田彦大神と天宇受売命の夫婦像の
前に立つ大島さん

 「正月から2回目の庚申(かのえさる)の日になると、渋川駅から猿田彦神社まで約1キロの道が人の列で埋まった。今は陸橋になっている石原踏切の辺りまで露店が立ち並び、大変なにぎわいだったのを覚えている」
 旧豊秋村の三国裏街道沿いにある神社(現渋川市石原)は北毛地区の庚申(こうしん)講の一大拠点だった。3月上旬から4月下旬ごろにあたる庚申の日の大祭になると、かつては旧水上町や旧月夜野町からも多くの人が訪れた。
 「庚申さまは神道では導きの神の猿田彦大神、仏教では六本腕の青面金剛が役割を担っており、二つが合わさって商売繁盛の御利益があるとされたのだろう。1965年ごろまで、多くの養蚕農家の信仰を集めていた」と指摘する。
 地元農家の長男に生まれた。勢多農林高校卒業と同時に神社の神楽講に入り、96年から神社総代と神楽講保存会の副会長を務めている。
 「子供心にも祭りが楽しみだった。お小遣いをもらって綿あめや金魚すくいなど露店を巡った。神楽講では、学校を終えた子供たちが神社に駆けてくるのを待って、もちや菓子を投げたものだった」
 祭りの夜、各農家は5、6軒の隣組ごとの庚申講に分かれ、夜通し話をした。農繁期の直前でもあり、その年の作付けや桑の出来具合、互いの手伝いの相談などをして連帯を深めたという。
 「この辺りでは桑積みなどの仕事の速い人を庚申さまのようだねと褒める。庚申講に使う掛け軸は猿田彦がモデルだが、青面金剛が六本腕で仕事をするイメージもどこか残っているのだろう」
 時代は過ぎ、養蚕農家を主体とした信仰は過去のものになった。
 「それでも、神社を守ろうと地域の人から寄付が集まっている。最近ではこま犬や鳥居が奉献され、今年3月にはこれまでなかった猿田彦と天宇受売命(あめのうずめのみこと)の石像を建立できた」
 石像や石碑には、寄付した人の名前が深く刻まれている。
 「次の世代が、自分たちの先祖を感じられる場所として、養蚕信仰を伝える神社を残していきたい」

(渋川支局 田中暁)