絹人往来

絹人往来

仕立て 個性生かし生涯貫く 小石田 トクさん(80) 桐生市仲町 掲載日:2007/12/05


「元気な限り仕立てを続けたい」と話す石田さん
「元気な限り仕立てを続けたい」と話す
石田さん

 冬に使う厚みがある生地、夏用の薄い布。地元のジャカード織りや平織り。桜色や黒、紫、緑など10数種類の絹地が店内に並ぶ。
 「背格好はそれぞれ違うから同じ注文はない。普段着から七五三の服、ウエディングドレスまで、仕立てる洋服は幅広い。お客さまの要望にすぐ応えられるようにいろいろな布地を用意している」
 現在の桐生市相生町で1927年に生まれた。終戦後、間もなく仕立ての道に入った。
 「実家の裏に、ミシンを1つだけ持って東京から疎開してきた女性がいた。仕立屋で、女手1つで男の子2人を大学まで出した。自分も手に職を持とうと思った」
 市内の洋裁研究所、服装学院で5年間勉強。卒業してすぐ店を開いた。23歳だった。
 「仕立てはお客さんを採寸して型紙を起こし、服地に合わせる。仮縫いをしてまたお客さんに合わせ、調整してから本縫いに入る。測る、切る、縫う。苦手があったら作ることはできない」
 54年に結婚し、嫁ぎ先に「石田洋裁店」を構えた。91年の新築と同時に店名を「ラ・モード・ヴィオラ」に変更した。
 「いろんな布地があるけれど、絹は夏は涼しく冬はあったか。肌になじみもいい。凝り性の人は『裏地もシルクで』と注文してくる。それぞれ特性があるけど、布の質は絹が1番」
 「絹地の種類は豊富で国産、外国産がある。東南アジア製は糸の本数が少ないから生地がよってしまい、ヨーロッパ製は染めが甘い。やっぱり日本は技術で優れている。織り方、柄の付け方、染めなどによって、1つとして同じ布地は生まれない」
 職業訓練校の洋裁科で指導していた2女、高木澄子さん(49)が跡を継ぐ。
 「仕立屋は1国1城の主で、みんな特技がある。自分の持ち味と個性を大切にした上で、謙虚に技を磨いてほしい」
 「何歳までできるか分からないけど、元気な限り仕立てを続けたい。半世紀以上仕事をして、今はたとえ目が見えなくても針穴に糸を通すことができるようになった」
 「針を持ってあの世に行きたい。それくらい、仕立てが好きなんだ」

(桐生支局 五十嵐啓介)