絹人往来

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蚕糸高校 生徒と寝泊まりし飼育 中沢 公司さん(54) 高崎市箕郷町上芝 掲載日:2006/08/04


かつての宿泊棟の前で語る中沢さん
かつての宿泊棟の前で語る中沢さん

 信州大繊維学部を卒業した31年前、新任教諭として安中市安中の県立蚕糸高(当時)に赴任、蚕糸科に配属された。「養蚕から製糸、染色、織物まで、農業分野から工業分野にまたがる学科だった。教員も多くボイラーマンまでいる大所帯だった」という。
 当時は校内の飼育棟で年に3回、蚕を飼育した。5月中旬、7月初旬、9月初旬、繭になるまでの約40日間、生徒とともに寝泊まりしながら蚕の面倒をみた。
 「日曜日も夏休み中も関係なく、交代で泊まり込んだ。登山部の顧問もやっていたので、なかなか家に帰れず体力的にはきつかったなあ」と振り返る。
 当初は木造の粗末な建物に泊まった。「2、3日は風呂に入れず、生徒も私も臭かったんじゃないかな」と笑う。やがて宿泊施設が建てられ、風呂やテレビも設置された。
 飼育棟は2階建ての大きな建物。「2階の繭をつるす部屋は仕切りがなく、テニスができるほどの広さだった。繭になる直前の1週間ほどは、飼育部屋からざわざわと本当に大きな音がした」という。
 泊まり込み中は、食事の用意も生徒と分担した。「朝は始業前に生徒が蚕の面倒を見なければならないので、朝食は教員が作った。昼食は実習助手が用意し、夕食は生徒に作らせた」
 蚕はふ化時から成虫になるまで、体重差で1万倍も成長する。絶えず飼育面積を広げて蚕の密度を均一にする必要があり、夜も餌やりが欠かせない。
 「ふ化当初は生徒6人ほどが泊まっていたが、最後は10人ほどで、夜の8時、9時まで絶えず面倒見ていた」
 6年で異動した次の高校では泊まりがなかったため、夕方までしか面倒見られなかった。「1、2時間の差で餌のない部分が広がってしまい、均一ないい繭はできなかった」という。
 脱皮の時は乾燥させる必要がある。「桑の葉が多く湿度が高いと脱皮できないので、必要以上に餌をやってもいけない。結局蚕とどのくらい付き合うかが、繭の優劣を決めた」。
 昨年、安中実業高と名前を変えた初任校に戻った。本年度の新入生からは安中高と統合し、安中総合学園高となった。かつての飼育棟も改築が進む。

(安中支局 正田哲雄)