統計調査 育て方の地域差実感 林 優昌さん(63) 沼田市柳町 掲載日:2008/01/08
当時の資料を手に養蚕について語る林さん
地元の農林高校を1963年に卒業し、農林省群馬統計調査事務所に入った。実家で養蚕の手伝いをする傍ら、県内の農産物の生産調査に携わった。
「調査に協力してくれる農家の人とのコミュニケーションが大切な仕事だった。3代続く養蚕農家の長男だったことが仕事に役立った」
68年に高崎出張所へ転勤。不作の時に繭の最低価格を保障する繭糸価格安定法のため、箕郷の農家で毎年、繭の生産量1キロに対する費用などを調査した。
「農家の忙しさは知っていたので、邪魔にならないように1番忙しい上蔟(ぞく)が終わるころを見計らって訪問した。そうした気遣いに気付いてくれたのか、すぐに仲良くなり、よく昼食に誘ってくれた」
調査に歩き、地元の利根沼田地区と育て方が微妙に異なるのに気付いた。霜害対策で高く仕立てる実家の桑の木と違い、刈り取りやすいように低く仕立てている点に地域差を実感した。
「調査で農家を訪ねるたびに新しい発見があった。蚕の育て方など身近な話題で話が盛り上がると、相手の警戒心もほぐれた」
84年から、渋川出張所農林統計課長として4年間、渋川・北群馬地域を担当した。農協の蚕業技術員とともに繭の作況を調べた。
「死んだ蚕が発する独特なにおいが忘れられない。農家にとって、養蚕は1番お金になる仕事だった。収入の半分以上を養蚕で稼ぐ農家もいたので、病気で蚕が死んだと聞くと、農家の落胆ぶりが身に染みた」
実家は25年ほど前に養蚕を辞めた。農作物の統計、調査をしていたことから、県内の養蚕業が下火になっていく様子を実感するようになった。
「まさか、世の中がこんなに変わるとは思わなかった。換金作物と呼ばれ、農家の貴重な収入源として、“おかいこ様”と大切に育ててきただけに残念だった」
別の農作物を調査した後、2004年に退職した。
「養蚕は5月から9月まで働いて、何回も収穫ができる理想的な作物。冬は畑の管理をする季節感のある面白い仕事だった」