絹人往来

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養蚕道具 父の“遺品”赤岩で光 小林 元吉さん(58) 川場村萩室 掲載日:2007/10/20


保管している蚕具を手にする小林さん
保管している蚕具を手にする小林さん

 日当たりのいい南向きの2階建てで、屋根には通気口が2つ並ぶ伝統的な造りの養蚕農家だが、主のお蚕はすでにいない。上蔟(ぞく)の時に回転まぶしがずらりと並んだ母屋2階には、桑切り機やけば取り機が眠っている。
 「繭の価格が高かった40年前は1日1貫(3・75キロ)目、1年で365貫目の生産を目指して働いた。道具を手にすると、家族全員で働いていた時のことを思い出す」
 2002年まで養蚕を続けた父が04年に亡くなり、先祖から伝わる多くの養蚕道具が残された。処分に困っていたところ、六合村赤岩地区の養蚕農家群の保存と活性化を目指す赤岩重伝建群保存活性化委員会を知り、道具を活用してもらいたいと思い立った。
 「養蚕が生きがいだった父が最後まで使っていた道具だったから、必要としている人に使ってもらいたかった」
 20年ほど前、生糸の価格が低迷すると、近所の農家も次々と養蚕を辞めていった。家の周りにあった桑畑も水田や果樹園に変わっていった。
 「桑が芽吹いて、生い茂り、落葉することで季節の移り変わりを感じることができた。ふるさとの風景をどこかに残してほしいと思った」
 赤岩重伝建群保存活性化委員会のメンバーが3月、わらで作られたまぶしや竹製の蚕かごなど伝統的な蚕具を取りに来た。
 「なかなか手に入らない道具だと、喜んで持っていってくれた。活動がうまく軌道に乗ったら、復活した赤谷の養蚕を見てみたい」
 新しい蚕具が手に入りづらくなってきていると聞き、処分しようとした蚕具もまだ捨てられずにいる。
 「昔ながらの風景と養蚕を守り続けている人に家の蚕具を使ってもらえれば、長い間大切に使っていた父も喜んでくれると思う」

(沼田支局 田島孝朗)