蚕神 幸せ願いひな人形 剣持 千秋さん(69) 中之条町中之条 掲載日:2008/02/28
「蚕神に込められた思いをしっかり受け止め守っていきたい」と話す
剣持さん
蚕神(かいこがみ)は、「衣笠(きぬがさ)明神」や「衣笠さま」とも呼ばれ、養蚕農家が江戸時代から蚕の“豊作”を願って信仰してきたと言われている。
「この家に生まれた女性たちの初節句に母親の実家などから贈られた代々のおひなさまが土蔵に残されていた。その中に、緑色の枝を手に持った人形があったが、それがどんな意味を持った人形かは知らなかった」
中之条町歴史民俗資料館は2月から3月にかけて、毎年「ひなまつり展」を開催している。同町出身の実業家(故人)から京都の公家の伝統を伝える「永徳斎」のひな人形1式を寄贈されたのを記念したイベント。
「江戸時代から名主なども務めた古い家で、『享保びな』なども所蔵している。民俗資料館から、この展示会への出品依頼を受けた際、おひなさまについて聞き、その由来を知った」
3体の「蚕神」が残されているが、いずれもなじみ深いひな人形と同じような宮廷の女官姿で、手に持っているのがクワの枝だ。
「ひな人形が納められていた箱の箱書きから、1体は1929年の中之条ひな市で祖母が買い求めたものと分かった。もう、1体は1936年3月3日に姉の初節句の祝いとして、家で農作業を手伝っていてくれた人が贈ってくれたものだった」
水利の便があまりよくなかったので、水田はわずかで古くから畑作に頼ってきた。それだけに、桑畑と換金作物の養蚕は生活を支えるために貴重だった。
「長男で農家を継いだが、時代の流れで養蚕を手掛けたことはない。祖父母の時代には、掃き立てを100グラムから120グラム扱ったという。100グラム以上は大蚕と言われ、有数の養蚕農家だった。蚕あげの最盛期には、多くの女性が手伝いに来てくれた」
養蚕が上手なら「当たり嫁ご」と言われ、反対は「外れ嫁ご」と呼ばれた時代。嫁の両親は、娘の嫁ぎ先での幸せと孫娘の幸せを願って、ひな人形に蚕神を選んだという。
「込められた思いをしっかり受け止め、大切に守っていきたい」