蚕業技術員 農家の熱意に応え奔走 諸井 透さん(74) 伊勢崎市昭和町 掲載日:2008/05/30
座繰り器に手をかける諸井さん
養蚕の最盛期だった1961年、佐波伊勢崎養蚕連合会の蚕業技術員として赴任。以来33年間、農家への指導に明け暮れた。
「管内の農協に常駐して養蚕農家への技術指導に当たった。最初に担当した旧赤堀町には当時、1300戸も養蚕農家があった。どこも規模を拡大しようと一家総出で取り組んでおり、熱の入れ方が違った。こちらも必死だった」
邑楽町の養蚕農家の生まれ。東洋大経済学部を卒業後、県蚕業講習所(現県立農林大学校)で学んで技術員の資格を取った。「少年時代、自宅にも技術員が来ていた。大学に進み、職業を考えた時にその姿が目に浮かんだ」という。
地域の集会所や農家を回り、桑作りから蚕飼育の環境条件まで細かく目配りしてきた。「特に怖かったのは蚕の病気。脱皮する際に高温多湿だと蚕は弱ってしまうが、家によって構造も飼育条件も違った。とても教科書通りの一つの教え方ではすまなかった」
そうした中で経費をかけず蚕が無事大きく育つよう、家の造りを考えながら扇風機を使って風通しを良くする方法などをアドバイスした。「『天候が悪かったからだめだった』では、技術員は務まらなかった」
遅霜や降ひょうで桑畑が大きな被害を受けたこともあった。そんな時は、桑が余っている地域を探して農家にあっせんした。
「共に苦労して作った繭が集会所に集まり、農家の人たちが出来具合を比べているのを見るのがうれしかった。誰もが個人として競争していたし、地域でも競い合っていた。そうした熱意が産地を支えていたんだろうね」
技術員としての経験を生かし、現在、富岡製糸場世界遺産伝道師協会の伝道師として活動。主に上州座繰りと繭クラフト作りを担当している。
「イベント会場に座繰り器を持ち込んで体験コーナーを設けると、高齢者だけでなく子供も関心を示してくれる。養蚕、製糸、織物の伝統は子供たちに未来に引き継いでもらうもの。その子たちに歴史を伝えることも、世界遺産の本登録につながるのだと信じている」