絹人往来

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新鐘会 紡績所の価値伝えたい 五十嵐静雄さん(76) 高崎市新町 掲載日:2007/3/1


1961年に自身が作成した紡績所配置図を広げる五十嵐さん。「知っていることを伝えたい」と保存活動に励んでいる
1961年に自身が作成した紡績所配置図を広げる五十嵐さん。「知っていることを伝えたい」と保存活動に励んでいる

 かつての鐘紡新町工場(高崎市新町、現カネボウフーズ新町工場)は、製糸の際に出る屑(くず)などを集めて生糸同等の糸を作り上げた紡績所。そのOB会「新鐘会」の会長を2005年春から務めている。
 「平凡なOB会だったが、会長に就任してから、富岡製糸場関連の世界遺産登録運動で、工場が急に注目され始めた。それまで紡績所の技術や木造建築がそんなに価値のあるものとは、OBの誰も知らなかった。富岡製糸場が金閣なら、こちらは銀閣という話を聞いてびっくりした」
 工場は当初の紡績から食品、アイスクリームへと製造品が変遷。そのOB、OG約240人が新鐘会に所属している。
 同会は機関紙を年3回発行するほか、毎年1回、会員が集まって在職当時の思い出などを語って親ぼくを深めている。毎回120人から130人集まる。ゴルフのコンペも恒例だ。
 紡績所が近代化遺産として注目されると、その歴史的価値の啓発や保存へ向けて運動する住民組織「よみがえれ!新町紡績所の会」が同年9月に発足。新鐘会長として副会長に就いた。そして新たな使命も加わった。
 「OB会の会長だけでなく、紡績所のことを知っている人がいなくならないように伝えていかなければならない。新鐘会の中でも、紡績所のいろいろなことを知っている人は、私を含めて数人しかいないからね」
 旧制工業高校(5年制)を卒業し、1948年、19歳で鐘紡に入社した。
 「1年間は見習いとして、工場内の全部の部署を1カ月ずつ回った。ここでいろいろな現場を経験したので、今でも紡績所の仕事のことが大体分かる。当時は従業員が約2000人いて、その8割は女性。男性は機械の整備や生産管理など工場がスムーズに動くようにするのが役割。私は主に機械の図面を作成するのが仕事だった」
 数百人が一度に利用した食堂、寄宿舎生活、夏の盆踊り、秋の運動会、有名タレントを呼ぶ年1回の慰安会など思い出は数多い。「新鐘会として、紡績所が世界遺産になれるように地道な活動を続けていきたい」と思っている。

(石黒淳)