絹人往来

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機織り 絹にこだわり糸探し 黒田 かづゑさん(54) 神流町船子 掲載日:2007/08/01


「絹にこだわった作品づくりを続けていきたい」と話す黒田さん
「絹にこだわった作品づくりを続けていきたい」と話す黒田さん

 養蚕の伝統を伝えていこうと、神流町の主婦らで組織する「シルク工房」の会長を務めている。国道462号沿いの道の駅「万葉の里」を拠点に、絹糸を使った織物や繭細工を作って販売するほか、一般を対象にした体験教室も開いてきた。
 「シルク工房」ができたのは2001年。万葉の里が体験室に導入した機織り機を生かすため、織り手を募ったのがきっかけだった。
 「友人に誘われ、気軽に参加した。この辺り一帯は昔、養蚕とこんにゃくで生活していたため、興味はあった。子供のころは、蚕の時期になると近所にも手伝いに行った。友達と『あそこのうちに行くと、うまい菓子がでるよ』なんて言い合いながらね」
 呼び掛けに集まったのは10人。県立日本絹の里を訪れるなどして機織りの研修を続け、その後メンバーで「シルク工房」を結成した。
 機織り体験はそのまま、7年前に亡くなった明治生まれの母の思い出につながった。
 「母は、年を取ったら機織りでもして過ごしたいと話していた。でも結局できなかった。もともと農家育ちで良い繭を生産していたようだが、最後まで機を織るゆとりはなかった。そんな母の姿がずっと気になっていたのかもしれない」
 毎月2回、万葉の里にメンバー6人ほどが集まり、機織り機を使ってコースターなどを作っている。作品は売り場に並ぶが、売り上げはほとんど材料代となる。それでも素材は絹にこだわってきた。
 2軒残っていた農家がやめ、町内の養蚕農家はゼロになったという。絹糸の確保ばかりでなく、繭玉の供給も難しくなり、体験教室はしばらく休止状態。
 「糸を探すのが第1」と苦笑するが、創作意欲は盛んだ。
 「母にとっては望むのが難しい夢だったが、機織りをするからには反物を織り、着てみたい」

(藤岡支局 戸沢俊幸)