旧蚕糸高校 泊まり込みで蚕の世話 伊与久 進さん(67) 安中市西上秋間 掲載日:2008/01/16
かつて養蚕を手掛けた自宅の前で語る伊与久さん
養蚕の盛んな安中地域の人材育成の場として、多くの卒業生を送り出した旧県立蚕糸高校。1987年に安中実業高校となり、今年3月末で安中総合学園高校に統合され、94年の歴史に幕を閉じる。同窓会長として3月1日の卒業式後に閉校式を開く。
「多くの同窓生に来ていただき、歴史を振り返りたい」
秋間の養蚕農家に長男として生まれた。
「地区の約50軒のうち、養蚕に携わっていない家は2、3軒しかなかった。子供は労働力と見なされていたので、小さいころから養蚕の手伝いをした」
55年の中学卒業後、当然のように蚕糸高に進学した。
「私が通った農業科は農家の長男がほとんど。旧中山道の杉並木が残っていたころで、砂利道を自転車で通った。学校の周囲も桑園(そうえん)が広がりうっそうとしていた」
蚕糸高ではさまざまな養蚕技術を学んだ。
「当時は稚蚕の共同飼育場ができ始める前で、掃き立てから繭になるまで一通りの作業を経験した。病気が発生するとすぐにまん延するので、特に気を使った」
夏休み中も泊まり込んで蚕の世話をした。
「当番制で早朝や夜間も面倒をみた。まだ条桑育は行われておらず、桑園に行って桑摘み爪(つめ)をつけて葉をもいだ。慣れてない生徒もいて、みんなで協力して作業を進めた」
在学中も家業の手伝いをした。
「登校前の朝6時ごろから作業を始めたが、親は明るくなる前からやっていた。大変な仕事だと思った。学業より家の仕事が優先された時代で、農繁期は休校日もあった」
卒業後、養蚕を受け継いだが25年ほど前に見切りをつけ、ウメ栽培に切り替えた。
皇居の紅葉(もみじ)山御養蚕所で皇后さまが育てている蚕の飼育助手として、今でも安中実業高の卒業生が訪れている。
「安中は養蚕が産業の中心だったので、蚕糸高があるのは必然だった。その歴史を引き継ぐ実業高の閉校は残念だが、同窓会で会員間の親睦(しんぼく)を図り、後世に歴史を伝えていきたい」