絹人往来

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近隣娘が集まり作業 蝶つけ 松本よしのさん(81) 伊勢崎市馬見塚町 掲載日:2006/09/20


小茂田家住宅の蚕室で蝶つけの仕事を振り返る松本さん
小茂田家住宅の蚕室で蝶つけの仕事を振り返る松本さん

 伊勢崎市の蚕種生産・養蚕農家「小茂田家住宅」で嫁入り前の15歳から5年間、雄と雌のチョウを交配させる「蝶(ちょう)つけ」の仕事に携わった。
 「繭から自然に出てきた雌のチョウの上に、雄のチョウをパラパラとまいて交尾させた。チョウははっていて飛ぶことはなかった。2、3時間交尾させたら、雄を雌から離した。娘20人ぐらいで作業にあたり、広い2階(蚕室)はいっぱいだった」
 雌のチョウは1畳ほどの大きさの茶色の紙にベージュ色のきれいな卵を産んだ。卵は蚕種会社などを通じて農家に販売された。
 蝶つけの仕事は夏場。毎朝4時起きで小茂田家に行き、夜の8時ごろまで作業に追われた。他の娘たちと3食をともにしながら過ごした。
 夏になると、娘がいるうちには小茂田家から「来てほしい」と依頼された。近所の娘はほとんど行っていた。大きな釜でごはんをたいて、1階の座敷で食べた。
 「白いかっぽう着姿に、頭には手ぬぐい。チョウからけばがうんとたつのでマスクをした。素足にタケノコの皮で作った草履をはいた。軽くて涼しかった。今ほど暑くなく、暑さは気にならなかったが、立ち仕事なので疲れた。朝起き上がって足がすくんだ時もあった」
 若い娘たちが集った蚕室での作業で、時には流行歌を口ずさんだ。仕事の合間や終わった後の楽しみもあった。
 「仕事が楽な時は『窓を開ければ 港が見える メリケン波止場の』と当時の流行歌を歌った。お茶の時間は10時と3時。『きょうはぼた餅(もち)を出すよ』なんて朝から言われると、うんと楽しみで仕事もはかどった」
 作業が終わると、利根川の土手に涼みに行って大福を食べた思い出もある。蝶つけの期間が終わると、主任が打ち上げ代わりにみんなを封切りの映画を観に東京に連れていってくれた。報酬はいくらもらったか分からないが、親に渡り、それを親からもらい、郵便局に積んで歯の治療費に充てた。
 「あの時があって今がある」。約60年ぶりに、小茂田家の1階から2階にかかる急な階段をゆっくりと上がって蚕室に立ち、あらためてそう感じた。

(伊勢崎支局 宮崎秀貴)