舞踊 手縫いの着物で軽やか 金子 きよさん(77) 邑楽町石打 掲載日:2008/03/27
自慢の着物を着て踊ると「軽くて動きやすい」と語る金子さん
「正絹の着物で踊ると何も着てないように軽いし、動きやすい。踊りのサークルの仲間にもうらやましがられる」。20年前に舞踊を始め、あらためて絹の和服の魅力に気付かされた。
大泉町寄木戸の実家周辺は養蚕が盛んだった。「家では蚕が1番偉かったから、上蔟(じょうぞく)の時は蚕が居間や寝室を占領して、家族は隅っこで寝ていた」。手塩にかけ育てた繭の中から、売値が安い玉繭やシミのある繭を売らずに取って置き、祖母が煮て糸を引いた後、紡績業者に渡して生糸にしてもらった。
「生糸が届くと、日なたに設置した機織り機で祖母が“トントンカラリントンカラリン”という調子で反物を織ってくれた。孫を着飾るのが楽しみだったのか、機織りが好きだったのか、昼間の暖かい時間に楽しそうに作業していた」
祖母には立派な着物を仕立ててもらったが「当時は呉服店にあった反物がきれいに見え、手製の反物は田舎っぽくて着たくなかった」という。しかし、「手織りの風合いは、絶対に機械で出せない」と気付き、今では祖母に感謝する。
反物ができると次は染色。ご用聞きの職人が家を訪ねてきて染めの見本を見せてくれた。「祖母や母、女姉妹で好みの色や柄を言い合いながら、染めを決めた。たわいもない話し合いは楽しかった」と目を細める。
若いころ、近所の教室に通って和裁を習い、自分でも着物を縫えるようになった。「反物を和服に仕立てると生き生きとする。それまで平面の世界で眠っていた柄が、立体的になって浮かび上がってくるの」と魅力を語る。普段着から訪問着まで、どんなスタイルの着物でも自分で仕立てた。
長い間休んでいた和裁だが、今冬、当時の記憶やメモをたどり、久しぶりに和服を仕立てた。「ウールだけど、機織りの道具が染めてある着物でね。縫っていて、昔のことを思い出した」。楽しくて夢中になり、一冬で3枚を縫い上げた。
「自分で仕立てた着物も良いけど、やはり祖母が作ったものには特別な思い入れがある」。祖母が繭から仕立てた羽衣のように軽い着物で、喜寿を迎えた今も軽やかなステップを踏んでいる。