絹人往来

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養蚕指導員 現場を見つめ30年超 鈴木 睦夫さん(53) 高崎市八千代町 掲載日:2008/05/03


電話で養蚕の様子などを聞く鈴木さん
電話で養蚕の様子などを聞く
鈴木さん

 JAたかさきでただ1人の養蚕指導員。35年前に高崎市内で2000戸以上あった養蚕農家も20戸に減り、その1軒1軒を回り指導している。
 「養蚕農家が減って、張り合いが悪いのは確かだ。養蚕をしているのは、桑園(そうえん)を今さら野菜畑には変えられないというお年寄りがほとんどで、10人ほどいた指導員も私だけになった。でも、養蚕は年を取って続けるにはいい仕事だと思う」
 旧安中蚕糸高を卒業後、養蚕農業協同組合連合会群馬高崎地区(現JAに統合)に勤めて以来、指導歴は30年以上になる。昔ながらの、と見られがちな養蚕も様変わりした。
 「仕事自体はだいぶ楽になったはずだ。昔と違って、桑の葉を枝ごと切って与える条桑育(じょうそういく)に変わったことが大きい。ただ最近は、必要な資材が手に入らなくなった。蚕は1度病気になると、人間のようにすぐ治ったりはしない。予防が大切なのに、病気の予防剤がもう作られていない。養蚕が衰退し、採算が合わないのだろう」
 養蚕農家に小まめに電話を入れ、繁忙期には1日に10軒を訪問する。農家と語らい、相談に乗り、誰よりも養蚕の現場を見つめている。
 「皆さんお蚕が好きで、なるべく長く続けてもらいたい。年を取ってやめようか迷っている人には、それなら量を減らして継続するよう勧めている。夫婦で養蚕をしてきて、どちらかが病気やけがをした時が節目になる。女性はそれほどでもないが、男性の方は、妻ができないのならと意欲をなくしてしまう」
 一年間に蚕を育てる回数を増やした「多回育」には国の補助があり、養蚕で自立するための環境整備は少しずつ前進しているという。若い養蚕農家の出現も、待ち望んでいる。
 「野菜と比べ、労力が少ない。2週間の仕事で1回上げれば、量にもよるが50―60万円の収入になる。桑から野菜に変えた畑ではその後、休耕地になってしまったところが多いけれど、養蚕は70歳を越えても続けられる。高齢化の時代に合った仕事だと思う。養蚕をやってみたいという人がいたら大歓迎だ」

(高崎支社 関口雅弘)