絹人往来

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日本絹の里「友の会」会長 蚕糸に携われる喜び 大森 勲さん(64) 館林市大街道 掲載日:2008/04/12


「和柄は世界に通用するデザイン」と話す大森さん
「和柄は世界に通用する
デザイン」と話す大森さん

 「最近では若者が上海あたりにデザインの勉強に出掛けるというが、なんでそんなことになったのか。ありえない話だ。日本には世界に通用する和柄があるのに」
 子供のころ、紺屋(染色業)を営んでいた家には、布地に絵柄を染めるために用いた型紙が山ほどあった。千鳥や桜、ひ扇など、絵柄の奇麗な型紙を電灯に透かしてみたり、おもちゃにして遊んでいたが、誰にもとがめられることはなかった。
 物心がついたころ、家業は糸染めが中心で、型紙はすでに使われなくなっていた。
 「染めた糸を乾かすときなどに、間に挟んだりして使っていた。感覚としては、古新聞と同じような扱いで、簡単に使い捨てていた。父親が残そうと思い立つまで、誰も型紙が貴重だなんて言う人はいなかった」
 家に無数にあった型紙が伊勢型紙と呼ばれるものであること、日本伝統の染色技法を語る上で欠くことのできない品であることなど、その価値を知ったのは、だいぶ後になってからのことだったという。
 今、手元には父親の孝三郎さんが1971年に自費で作った「伊勢型紙の栞(しおり)」と、その後に当時の県伊勢崎繊維工業試験場が調査してまとめた1冊がある。型紙の価値を教えてくれた本だ。
 「型紙のデザインは今の時代に1から作ろうと思っても、まずできないものばかり。和柄は古いとか、デザインがうるさいとか言われるが、和の意匠を取り入れて有名になった世界ブランドだってある。要は使い方だと思う」
 家業は戦後の繊維業界の変遷に合わせるように、紺屋から機屋へ、そしてニットへと変わった。自身も高校卒業以来、さまざまに転身しながら、「糸偏業界」とかかわりを持ち続けてきた。
 「繊維屋は日々工夫を重ねながら生きてきた。今だって日進月歩だ。型紙を昔と同じように染色に使いながら残すことは無理でも、コンピューターの時代だからこそできる新しい使い道があるはず。和柄は世界に通用するデザイン。何とか後世に伝えたい」

(館林支局 坂西恭輔)