ねんねこばんてん 併用絣を使い大流行 金子 弘さん(76) 伊勢崎市馬見塚町 掲載日:2007/4/20
大流行したねんねこばんてんを手にする金子さん
桜色と緑色のねんねこばんてんが、1枚ずつ自宅に残っている。はんてんに使われている併用絣をデザインして織ってもらい、販売した。
「50年も前に作ったものですが、おしゃれでしょう。伊勢崎の織物は各工程ごとに独立した分業形態をとってきた。この布ができるまでには多くの職人がかかわっている」
昭和初期に創業した伊勢崎銘仙の機屋の2代目。1950年から手伝った。下職(したしょく)回りといって、仕事を依頼する糸屋から紺屋、整経、そして機で布を織ってもらう農家などを一軒一軒回った。自転車で、伊勢崎の宮子から前橋の駒形、富士見の大鳥居の近くまで、南は利根川を渡って埼玉の児玉にも行った。
「当時は板絣を売っていた。地味な柄しか織れないので、お年寄り用の着物にすることが多かった。同じ物を作っていても、いつかは売れる堅い商品だった。しかし、もうけは少なかった」
ねんねこばんてん用の併用絣を販売するようになったのは、52、53年ごろから。父の政晴さんと相談し、新しい分野に進出することを決めた。冒険にも似た一大決心だった。
仕事を頼む紺屋には新しい設備を備えてもらった。捺染(なっせん)してくれるところや図案を考えてくれる人、それに織ってくれる新しい人を探した。
「売り出した時は、ねんねこばんてんにどうですか、と反物のラベルでアピールした。併用絣は高級な普段着。それをねんねこ用にすることを勧めるのだから、当初は皆驚いていたよ」
併用絣を使ったねんねこばんてんはおしゃれで、大流行した。高価でもなく、軽くて、暖かかった。最盛期は月三千反以上売れたという。
「背負う赤ちゃんの性別によって羽織るはんてんの色や柄を変えるように反物を織った。ネコがまりに触っていたり、イヌがじゃれているような幼い子供が喜ぶ柄を数多く取り入れた」
時代を先取りするような手法から生まれたねんねこばんてんは、今でも大きな誇りだ。