絹人往来

絹人往来

絹市 江戸期の繁栄を研究 黒沢 明彦さん(75) 藤岡市小林 掲載日:2007/09/15


編さんした藤岡市史が並ぶ本棚の前で絹市で栄えた当時の歴史を語る黒沢さん
編さんした藤岡市史が並ぶ本棚の前で絹市で栄えた当時の歴史を語る黒沢さん

 社会の教諭として小中学校で教壇に立ち、退職後は藤岡市史編さん室長を務めるなど主に近世、近現代の市史を研究している。
 「自分が住む土地を好きになるには、歴史を学ぶことが重要。愛着を持つことで町づくりの第1歩となる」
 郷土に対する思いは人1倍強い。旧官営富岡製糸場が世界遺産の候補となり、盛り上がりを見せる中、養蚕文化が藤岡市にも根付いていたことを強調する。
 「明治時代に日本初の養蚕学校『高山社』が設立され、さらにさかのぼれば、江戸時代には、絹市が盛んで経済的にも文化的にも活気ある街だった」
 今年5月には、同市の歴史を語り継ぐ地元住民グループ「上州ふじおか絵巻の会」が開いた勉強会で、講師として資料を用いて絹市で栄えていたことを解説した。
 当時の絹市は、市内2カ所の通りで月6回、計12回開かれ、道の両側には、絹の商談を取り持つ10数軒の絹宿が並び、生糸や生きぎぬ絹を売りに来る農民や、江戸、京都、大阪などの呉服問屋から買い付けに来る商人が集まりにぎわっていたという。
 数年前、江戸時代に絹宿を経営していた子孫を訪問。市内に誘致した呉服問屋の三井越後屋が1780年(安永9)、諏訪神社に男女(なんにょ)二柱(ふたばしら)の大神輿(みこし)を奉納したことが記された文書を解読してもらった。
 「それまで口頭では伝わっていたが、虫食いだらけの文書を解読できたことで、神輿の奉納が証明できた。絹市を通して藤岡が栄えていた当時の様子が目に浮かんだ」
 絹で栄えていたものの、市内に象徴的な建物が残っていないことを残念に思っている。
 「養蚕学校の高山社など建造物を復元して意識を高めることが必要。地域に誇りを持つよう、先人の精神を見直し、高い文化が藤岡にあったことをあらためて認識してもらいたい」

(藤岡支局 林哲也)