絹人往来

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養蚕飼育所 共同作業で地域豊かに 小林 本一郎さん(78) 川場村谷地 掲載日:2008/04/05


「養蚕飼育所はいい蚕を育てるだけでなく、地域のよりどころだった」と話す小林さん
「養蚕飼育所はいい蚕を育てるだけでなく、地域のよりどころだった」と話す小林さん

 「安定した品質の繭を作るには、地域が協力し合って取り組む共同飼育所の存在が不可欠だと思った」
 35年間勤めた利根沼田養蚕農業協同組合連合会で、主に養蚕指導員として、旧白沢村(沼田市白沢町)と川場村を担当した。とりわけ旧白沢村では16年間指導員を務め、4カ所の養蚕飼育所設立を推進した。
 養蚕農家の2男として生まれ、県立蚕業講習所を卒業。沼田市内の製糸会社を経て同連合会に就職した。「蚕に囲まれて生まれ育ったようなもの」と養蚕への愛着は強かった。
 早朝から数カ所の集落へ指導に向かい、昼夜無く取り組んだ。農家から「ダニが出たがどうしたらいいか」「桑の作柄が良くない」など不安の声は後を絶たなかった。「この辺の養蚕農家は、前年の付け払いを春蚕(はるご)の収入で払う人が少なくなかった。蚕に生活がかかっていたからみんな真剣だった」
 指導中、気になったのが農家ごとの飼育方法や蚕種の品種選びなどにばらつきがあること。「桑くれ1つとっても、各家ごとに方法が異なっていた。その結果、品質や収量に差が出て、収入額の開きも大きかった」
 そうした経験から、旧白沢村での指導が10年目に入ったころ、「地域が協力し合って蚕を育てられる環境を」と飼育所設立を発案。村と県に要望し、村内4カ所の共同飼育所設置が認められた。それぞれ5ヘクタールの桑園(そうえん)も確保できた。
 「桑園栽培から桑くれ、蚕の健康管理など、今まで1軒の農家が何から何までやっていた仕事を共同作業にすることで、農家に時間のゆとりが生まれる。みんながいい蚕を作って豊かになれる」と確信した。
 開設後、蚕種の品種選定に農家から異論が出ることもあったが、「最後には統一した品種に賛成してくれた」。1つずつ問題を乗り越えた。
 57歳で同連合会を退職し、養蚕とのかかわりはほとんどなくなった。「飼育所はいい品質の繭をもたらし、地域を豊かにした。不安を和らげ、地域の心のよりどころとしての役割も果たしてくれたと思う」

(尾瀬支局 霜村浩)