絞り 信頼はぐくんだ技術 町田 みのるさん(80) 太田市内ケ島町 掲載日:2007/1/31
「絞りの仕方は体で覚えている」と語る町田さん
着物に鮮やかな模様を付ける絞り染め。尋常小学校1年の時から、学校が終わると近所の「絞り屋さん」に毎日通い、「突き出し絞り」と呼ばれる技術を磨いた。
「生地に糸を小さく巻いて玉を作っては切る。それを幾つも幾つも、すき間無く作る。子供だったけれど作業場の絞り台の前に座って、夜9時ごろまで続けたよ」
作業場の座敷には子供から大人まで20人程度が集まった。姉や周りにいた友達に教わりながらの作業。高等小学校を経て、和裁学校を卒業するまでの10年間、放課後は絞り業者通いが日課になった。
「友達とおしゃべりしたり、絞り台の隣に勉強のための本を置いて読んだり。そこに行けば友達がいる、という感覚だった。夕飯も母親が持って来てくれて食べたもんだよ」
絞りが付けられた生地は、絞り業者から次の工程である染色業者に回された。絞り業者の作業場は子供の労力提供の場所になるとともに、さながら現代の学童保育や、部活動の役割を果たした。
体で覚えた絞り技術は成人後、農家に嫁いでからも家計に生かされた。
「結婚して田んぼが暇な時は一日中やった。嫁入りまで経験がなかった農作業は下手だったし、お産も重かったから、しゅうとによくいじめられた。でも、絞りは得意だったから頑張った」
手掛けたのは近所の業者から発注された、髪に付ける結い綿や三尺帯が多かったという。
「結い綿で1日5、6本。絞りは細かく糸を巻ける方が美しい。この辺では、桐生の業者からの発注で、内職を頼まれる人が随分いた。厳しい業者だとせっかく作って持っていっても、全部ほどかれてやり直しさせられる人もいたそうだ」
腕には定評があり、長年発注を続けてきた絞り業者からの信頼は厚くなった。業者の誘いで、1970年前後には数回、都内のデパートで絞りの実演をしたことがある。
「絞りは小指に糸を巻きながらする作業だから、よく指の皮が切れた。農家の嫁さんは皆こうしてたんだ」
内職をしながら一男一女を育てた両手はしわがれた。薬指にもたれるように伸びる右手の小指が、絞りの作業とともに歩んだ人生を物語っている。