絹人往来

絹人往来

染め 色作りに意地と職人魂 山崎 貞治(80) 桐生市東 掲載日:2008/09/06


「絹は大切に扱ってきた」と話す山崎さん
「絹は大切に扱ってきた」
と話す山崎さん

 桐生天満宮で四月、56年ぶりに花魁(おいらん)道中が催された。天満宮のご開帳に合わせ1952年、京都から花魁を呼んで以来のイベントだった。
 「52年の花魁は忘れられない。足利から見に来た。それがお見合いだと気づいたのは一週間後だった」。山崎染色の一人娘との出会いを演出され、この年の暮れに婿養子として入籍した。
 「当時は襟繻子(えりじゅす)ばかり染めていた。着物の襟に使う布で、真っ黒に染めるのは難しかった」
 「染料の付いた布は桐生川に持っていってゆすいだ。ももまでズボンをめくり、真冬でも薄い氷を割って水に入った」
 冷たくなった手で、洗い終わった絹布を積んだリヤカーを引いた。「今は桐生川に氷が張ることはめったにない。地球温暖化は間違いないね」
 絹糸の表面からセリシンを取り除く「精練」作業もきつかった。熱湯を使う。やけどを何回もした。「セリシンがうまく取れると、絹がキュキュと音を出す」。絹鳴りの音は耳の奥に残る。
 赤、青、黄の三色の染料からすべての色を作り出した。「混ぜ合わせはさじ加減。経験がものをいうが、目指した色が1回で出せた時のうれしさは表現できないね」。職人魂が高揚する瞬間は何回思い出しても楽しい。
 義理の祖父の代から続く染め屋は、長男夫婦と娘らが一緒に守る。最近の原油の高騰は経営を直撃している。
 「染め代の値上げに応じてくれる機屋さんもある。でも、値上げだけでは対応できない。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶのが今かな」
 染め一筋の55年を生き、160軒の機屋さんと付き合った。「今は糸を染める先染めが主流になっている。布を染める後染めと先染めは4年ほどの周期で流行が変わる」という。仕事の流れに付いていくのが大切と思っている。
 「ぼかし、ねじり、しばりなどの技法をノートに整理している。失敗を含めて一目で作業が分かるようにしておきたい」。引き継ぎを意識する。
 「軽くて、光沢があって、吸湿性、保温性がある絹を傷つけないように扱ってきた」。ぽろりと出た言葉に、染め屋の意地がほとばしる。

(桐生支局 山脇孝雄)